医学部

卒業生のコメント

医師10年目になって 堀場綾子

女子医大を卒業し、今年で10年が経ちます。
医学部6年生の時にクラークシップという期間で脳外科を選択し、最終的には初期研修2年目で脳外科への入局を決意しました。
脳外科医となって8年、まだ短い医師生活ではありますが、学生の頃には想像もしえなかったこと、こんなはずじゃなかったと感じたことも幾度かありました。それでもこの執筆の依頼を頂いて振り返ってみると、学生の頃に感じた直感を信じた事が自分には功を奏したのかなと感じています。
私が脳外科領域を選択したのは、仕事内容や疾患・治療などをよく理解していたとは到底言えず、とにかく脳神経が自分にとって魅力的であったということに尽きます。脳外科はご存じのように緊急症例もあり、手術も日々の鍛練を要する多忙とされる科の一つです。自分の生活をある程度犠牲にする場合もあります。それでも続けてきた理由を考えると、脳神経に異常を抱える患者さん達が病気を克服していく様子を直近でみて、この領域に驚異すら感じているからだと思います。臨床的のみならず、学問的にも神秘的であり、また患者さんの人生に深く係っていくこの領域は、まさに医師でしか味わえない経験だとも思います。それは結局どの科も同じことが言え、領域に限られたことではないのですが、自分にとって何が夢中になって取り組めることなのかをしっかり探すことが、いかに医師生活・その後の人生を充実させられるかの大事な要素なのではないかと思います。

今でも勇気を頂いているエピソードの一つとして、卒後6年目の出張病院での事です。午前3時頃当直PHSが鳴り、自分と同世代の方が出産直後に意識レベルが低下したと院内急変の要請でした。診断は脳動脈奇形の脳内出血、それも血管撮影上、現在もまだ出血が続いているという判断でした。一刻も早い緊急手術が必要であり、現在の状況、必要な治療、今後予想しうる合併症を家族へ簡潔に説明すべく、頭の中で手順を整理しながらIC(説明)室へ向かいました。非常に緊急の多い病院であったため、普段どおりであればそれほど時間は要さなかったと思います。IC室のドアを開け、うっすら朝日が入る部屋で真っ先に眼に飛び込んだのが、呆然とするお父さんとその腕の中で眠る2歳の男の子でした。頭の中が真っ白になり、それでも何とか状況説明を行い、合併症・後遺症の可能性をご家族に理解を求めながらも「そんなことには絶対にしてはいけない」と自分の中で葛藤した気持ちをよく覚えています。その患者さんは病気を見事に克服し、今でもあのときに生まれた娘さんの写真とともに手紙をくれます。まだ後遺症で年に数回全身痙攣のために入院を要する状況ですが、「子供の目の前で痙攣のため意識を失い、不安な思いをさせたこともあったけど、今では子供に自分の痙攣の様子を教えてもらっている」といった内容に、日々の診療に対してだけでなく、不安だらけの育児に対しての勇気・自信もいただいています。

医師になり、母になり、まわりの方々の多大な理解・協力の下、今自分は脳神経領域のガンマナイフ治療を専門にさせていただいています。母という立場になったことで、医療の見方・考え方も変わりました。また、知らなかったことがこんなにあるのか、ということも知りました。脳外科領域を選択したように、これからも沢山の人生の選択をしていく事と思いますが、今が充実した日々であり、これからもそうであるようしっかり悩んで選択していきたいと思っています。
この文章が目に触れるのが、現医学生や医学を志す方が多いとのことで、みなさんがそれぞれにベストな選択ができることを切に願っております。

医学部