研修体験報告

コンピタンシー評価小論文

自分自身の研修を振り返って、何ができたか、何を学んだか、将来どんな医師になりたいか

初期臨床研修医 第12期生

 女子医大での研修中に特に印象に残っている出来事がある。私は研修中、患者と真摯に向き合うように努めていた。連日、緊急入院や急変が続き、一週間自宅に帰れず、「今日こそは家で寝たい」と考えていた夜に、担当患者が腹痛を訴え、腹部レントゲンを施行することとなった。夜間であったため、私が車椅子を押して地下通路を通って中央病棟まで行くこととなった。普段は明るく接するように心がけていたが、連日の疲れと「今日も帰れなくなるのか」という思いから、正直なところ苛立ちや焦りの様な感情があり、患者にもそれが伝わっていたのだと思う。中央病棟からの帰り道に、その患者に「先生、車椅子を押させてしまってすみません。私はこの病院に入院できて、こんなに良い先生に出会えてよかった。」と言われ、辛い思いをしているだろう患者に悟られてしまったこと、気を使わせてしまったことを強く後悔した。自分がどんなに辛くても、それを患者に気付かれてはいけないと思う。この出来事以降は、今まで以上に患者に丁寧に接するように心がけた。
 また、女子医大には多くの医師がおり、色々な診療科で研修しながら沢山の先輩医師や同期から、医学的知識だけではなく、周囲への接し方、仕事に対する姿勢などを学んだ。病棟で蘇生が必要となった患者がいたとき、上級医が迅速に対応している中、私は検体の分注やスピッツの手配位しかできず悔やんでいると、「挿管ができたりすることが重要なのではない。できることをできる人がやればいい。あのような場面で大事なのは、自分ができることを探してやること。」と上級医に言われたことがある。この一言に、私はとても救われた。また、どうしても治療が上手くいかずに落ち込んでいた時、ロッカーに同期から激励のメッセージが貼ってあったこともあった。辛いことも多い研修だったが、このような些細なことで励まされ、二年間を乗りきることができた。私も、私を元気づけてくれた先輩医師や同期のように、同僚を励ませるようになりたいと思う。

初期臨床研修医 第12期生

 およそ1年と半年の研修を経て何を学んだのかを考えると、医学の知識や手技など無数に思いつくものがある。しかし、学んだ物の中で何が一番自分に変化をもたらしたかといえば、“医師として働き続ける諸先生方のあり方”だと思う。性別、キャリア、診療科ごとに、様々な立場の先生方のそれぞれの医療への携わり方を見聞きしたことは、自分の将来を考えるにあたって、非常に大きな影響となった。
 社会的に華々しい職業の様に思われがちなこの職業の陰には、終わりない学習・雑務、それらを全力で尽くしても、時に訪れる挫折があふれている。研修医1年目などは特に多く、初めてまわる診療科での決まりを知らずに注意されたり、当直で眠れないまま翌日も業務に追われ、体力の限界を感じる時、「こんな思いをしたくて医者になったわけではないはずなのに」と虚無感に襲われた。
 そんな心持ちで、地域医療として透析病院で研修を行ったが、そこである女性医師に、「研修中は特に、医者になって何年かは、どうしてこんなことをしてるんだろう、辛いなって何度も何度も思ったわよ。でも、今こうやって外病院に出て色々な仕事を任せてもらえたり、自分の専門以外の病態に何とか対応できたりするのは、結局若い頃がむしゃらにやってきた経験があるからなのよね。最初の辛さに負けて楽になってしまったら、あとあと困るのは結局自分なんだと思うの。だから今辛いのは無駄じゃないのよ、大変だなと思う事も後になってから役に立つからね。先生なら大丈夫だから頑張って。」と、とても支えとなる言葉を頂いた。
 まるで心を読まれているような気になり少し恥ずかしさもあったが、今やっていることが今すぐ形となって、達成感や実力として返ってくるわけではないという当然なことを思い出させて頂き、非常に心強さを覚えた。確かに、1年目に失敗して怒られた経験があるからこそ、2年目では同じ失敗をせずに済んだこともある。これからは多少の事で落ち込まず、あの女性医師の様に、今まで経験したことは全て無駄ではなかったと思えるよう、今できることをひたすらにこなしていきたい。

初期臨床研修医 第12期生

 初期研修も終わりに差し掛かろうとしている今、この二年間を振り返ると、患者さん、指導医、同期など様々な人から、様々なことを学んだ毎日でした。医学的知識、技能の習得という意味で、学生の頃に学んだ知識が実践的なものとなったことは言うまでもありませんが、この二年間を通して学び、今後も大切にしたいと感じたのは、医師として患者さんに、そして医学に、どんな時も真摯に向き合う姿勢でした。
 ある内科で研修中に担当させて頂いた患者さんから、お手紙を頂いたことがありました。突然病気になったことへの大きな不安を抱える患者さんを前に、私自身も分からないことが多く、日々勉強しながら、上級医の指導のもと、なんとか患者さんが前向きに治療に励む力になりたいという気持ちで過ごしていた1年目の頃のことです。その診療科での最終日に、患者さんから頂いた手紙には「病気になって先が分からずとても不安だったけれど、先生のおかげで笑顔でいられました。病室に来てくれるのが嬉しくて、一番の心の支えでした。」と書かれていました。それまで、患者さんへの安心感はベテランの医師でこそ与えられるものだと思っていた私にとって、その手紙にどれだけ勇気づけられたか分かりません。たとえ駆け出しの研修医であっても、患者さんに日々真剣に向き合い、疾患について学び、自分の力を超えることがあった時にはすぐに上級医に相談するなど、一つひとつの積み重ねが、患者さんが前に進む力を得るための一助となることができるのだと、教えて頂いた経験でした。
 また、研修中に経験した当直中には、しっかりと自分の目で患者さんを診に行って本当によかった、診に行っていなければどうなっていただろうと思ったことが何度かありました。時を経ると最初に比べてできることも増え、自信がついてくるほど自分自身で大丈夫だと判断を下せる幅も広がりますが、その経験に甘んじてはいけないと強く感じた経験でした。患者さんのためのフットワークは常に軽くなくてはいけないと感じ、また、自分の目で確かめることの大切さを再確認し、身が引き締まる思いでした。
 初めて病棟に立った日、初めての当直の夜など、医師として数々の初めてを緊張して迎えた時の事を一つひとつよく覚えています。この二年間で、できることも増えました。学んだこと、教えて頂いたこともたくさんありました。しかし何よりも、今後の自分を支え、医師としての原点となるのは、病棟に立った初日の緊張感と謙虚さ、そしてどんな時も患者さんに、医学に、真摯に向き合う姿勢だと感じています。次のステップに向かって歩もうとしている今、決意を新たに、邁進していく所存です。

初期臨床研修医 第12期生

 2年間の研修を振り返ると、今までの人生で最も有意義な回り道ができた時間だった。私は間近で見ていた母に憧れ、幼少期より眼科医になることをずっと心に決めていた。眼科という科は診察手技も特殊である為、スーパーローテートシステムが導入されていなければ、少しでも早く自分の学びたい知識や技術を習得できるのにと考えていた。
 そんな考えの中、初めて医師として働くことになったのは血液内科だった。全く興味がない上に、血液内科と聞くととても重症で死と隣り合わせのイメージがあり不安だった。初日、実際病棟へ行ってみると、最初に思っていたイメージとは違い病棟の雰囲気も明るく、先生方やスタッフの方々もみんな笑顔であった。初めての指導医に「君が内科に行くかはわからないけれど、医師は最初の1年、最初の1ヶ月、そして最初の1日でどんな医師になるかが決まるんだよ。とりあえず、内科の勉強を頑張ってみよう」と言われた。1日目が終わった頃には、これから約50年は続いていくであろう眼科医生活を考えると内科に触れることが出来るのは今しかない、とやる気に満ち溢れていた。血液内科と言えば、特殊な手技に骨髄穿刺がある。印象に残っているのが「手技が上手い先生は介助も一流」という言葉である。次に何が欲しいのか、何をしたいのか、一人でできるからこそ先読みする能力も高く、介助が上手くなるとのことだった。清潔操作の際お叱りを受けることが多々あり、落ち込むこともあったが、段々介助もスムーズになり、次は先生がやりなさいと任せてもらえるようになった。病棟での仕事に慣れてきた頃、班の患者さんが亡くなった。手技を通して成長させて頂いた患者さんの初めての出棺。患者さんのご家族は涙を流しながら先生方にすごく感謝しており、最終的に死という結末になっても信頼があれば大丈夫という事を目の当たりにした。眼科は命とは直接関わらない診療科である為、とても貴重な経験であった。
 研修も終盤に差し掛かり、どの診療科の研修も楽しかったが、最終的な進路は変わらなかった。しかし、今までまわった診療科が1つでもかけていたら今の私はないと感じている。全ての先生、スタッフ、患者さんに沢山のことを教えて頂き、全ての経験が以前は関連がないと思っていた眼科と密接に繋がっていることを学んだ。他科研修を通してその科の先生達がどのようなことを思って眼科に依頼をかけるのか、依頼先の先生の対応が優しいとそれだけで1日幸せなことなど、初期研修というシステムがなければ気付かなかったことばかりである。他科依頼をかけてくださった先生方が何を見てほしいのか意図を汲めるような眼科医、そして行く行くは母と同じ、地域住民の目の健康を守る街の眼科医になりたい。将来、行う機会はもうないと思うが、今でも一番好きな手技は骨髄穿刺である。

初期臨床研修医 第12期生

 私は、2015年4月に東京女子医科大学病院での初期研修を開始しました。期待と不安で一杯だったことを覚えています。その時の私は、病態への理解や疾患の把握といった医師としての仕事を行う以前に、電子カルテの操作や病棟業務として何をすべきかといった、基本的な事柄について、何も経験や理解を持たない状況でした。
 そんな未熟で戸惑いばかりであった自分を育てて下さったのは、まず各診療科の指導医や先輩の先生方でした。業務やカンファレンスなどを通じて、各診療科の先生方が熱心に指導して下さり、いつか先生方のような医師になれたらと憧れる先生との多くの縁に満ちた研修でした。また研修医の同期にも、学ぶところが大きかったと思います。自分が理解の及んでいない事柄や、学習の足りない領域を、同じ時期に研修をスタートした仲間と共に仕事をする中で、一緒に学び合うことができました。
 しかし、最も学ぶ機会を与えて下さったのは、毎日接した患者さんでした。目の前の患者さんの状態を把握・理解しようと、患者さんの話を聞き、診察し、検査し考えていく過程で、また治療方針や治療内容について多くの先生方と議論しつつ、何が出来るのかを考えていく中で、様々な知識を身に着けると同時に、人をケアする側として、何ができるのか、どうしたらいいのか、と問い続けることができました。患者さんが何を望んでいるのか、どうなったらいいと願っているのか、その中で実際に到達可能な目標は何で、そのために医療者は何ができるのか、その医療者の一人として自分には何ができるのか。そのようなことを考え続けることができた、恵まれた研修だったと思います。
 医師はmedical gazeを身に着けて医師になっていきます。力強い力こぶに見えるものが、発達した上腕二頭筋に見える非常識な「医師の目」を身に着けることが医師になるということです。この非常識さを身につけなければ医師にはなれませんが、時にこの非常識さが、人を癒すこととは逆方向に向いてしまうこともあると感じます。このような時に医師が立ち返るべきものこそ、人の傍に立つ人としての違和感や戸惑いの中で、問い続ける姿勢であると思います。このような初心を忘れない姿勢が、強い専門性を持ちながらも、患者の傍に立ち、癒すことができる医師となるための気付きに繋がるように思います。
 初心の時に感じた気持ちを持ちながら、ベテランになることは、難しいことだと思います。研修医2年間のうちに、問い続ける姿勢を体験できたことは、大きな財産であったと思います。この研修で感じ、考えたことを思い出し、折に触れて立ち返ることのできる、何ができるのかを問い続ける姿勢を持った医師に、私はなりたいと思います。

初期臨床研修医 第12期生

 私は小児科専門コースで2年間の研修を行いました。学生時代から小児科医を目指し、大学病院で専門性の高い医療に携わりたいと考えていたため、この研修期間は非常に充実した、学びに満ちた2年間でした。小児医療に関わる高度かつ専門的な診療科で研修をさせていただき、できないながらも積極的に参加することで、多くの先生方に熱心にご指導いただき、後期研修に向けて自信がつきました。また、臨床的な能力だけではなく、症例発表や抄読会を通して学術的な側面でも大変有意義な2年間となりました。勿論、知識だけではなく、各分野でご活躍されている先生方と様々なお話ができたことも、私にとっての大きな財産となりました。
 さて、高度化し細分化した現代医療の中で、小児科という診療科は少し特殊な側面があると私は考えています。具体的には、「小児科医になる」と決心することは、全身を診るという点では「内科医になる」と決心することと大差なく、診療科を決定してもその先に他科以上に専門分野の選択肢があり、またそれらの知識が求められると思います。この2年間では小児科以外にも循環器小児科、腎臓小児科、母子センター、小児外科等の各診療科で研修をさせていただきましたが、小児科領域で様々な診療科が専門的な治療を行っていました。
 そのような診療科で研修をさせていただき、他分野にまたがる知識の重要性を、身をもって感じました。上級医の先生方に目指すべき小児科医の像を伺うと、どの診療科の先生も、細分化される医療の中で他分野にまたがる知識を持つ、コーディネーターとしての小児科医になれる人材が必要になってくるとアドバイスをいただきました。非常に難しい道となりますが、そんな医師になることが、この2年間で新たに増えた大きな目標の一つです。勿論、自分の専門分野も決め、しっかりと学び、患児だけでなく、患児の家族にも安心感を与える医師となることが私の理想の医師像で、それに向けて今後も努力していこうと考えています。
 新たな知識と経験、目標を得られた小児科専門コースでの2年間は、今後の小児科医人生の中で必ず生きてくると考えています。

初期臨床研修医 第12期生

 2年間の研修生活を振り返ると、医学部6年間で学んだこと以上に内容が濃く、学びが多かったように思います。医学的な知識や手技はもちろんのこと、精神的、社会的なケアに至るまで、様々な側面から患者さんを診ることの難しさを痛感する2年間でもありました。
 色々な診療科をローテーションする中で、ロールモデルとなりうる指導医の先生方に巡り合うことができたのも、私が医師として成長する上で非常に重要なファクターであったと思います。
 特に、ある外科で出会った指導医は卒後20年のベテランドクターで、ハイリスク症例の術中であっても終始穏やかで、後輩の指導を熱心に行う姿が印象的でした。患者さんに接するときも回診の度にきちんと身体に触れ、優しく声をかけ、時には冗談交じりにコミュニケーションを取っていました。院内でも特に忙しいとされる外科でしたが、週に1度は病棟看護師とのミーティングを開き、チームが受け持っている全ての患者さんの情報交換を行い、病状や術式の説明から社会的問題点に至るまで、きちんとディスカッションされていました。また、若い女性の患者さんを相手にする時には、研修医である私をコミュニケーションに上手く巻き込んで下さり、信頼関係を上手く構築されていたことも印象に残っています。臨床現場において、患者さんや他職種とのコミュニケーションを取るうえで、細やかな気配りを自然に行うことがどれだけ難しいのかを1年目から痛感させられた私にとって、この指導医との出会いは大きな学びでした。その他の診療科においても、問診や身体所見の聴取に長けている先生、最新のStudyを常にアップデートしている先生、緊急時に的確な指示を出してくれる先生など、「かっこいい」と思える先輩方に出会うことができました。
 一方、この研修において唯一残念に思ったことは、他科との連携がうまく取れず、他科の批判や責任の押し付け合いをする場面に少なからず遭遇することでした。各々の診療科のプロフェッショナルがぶつかってしまうことは仕方ない部分があるのかもしれませんが、診療科同士のコミュニケーションのハードルが高く、時にそれが患者さんにとって良くない結果をもたらすことも見受けられました。このような学びを後期研修、そして今後の医師としての人生において活かすべく、患者さんはもちろんのこと、他職種や他科に対して謙虚さを忘れず、知識や技術を身に付ける貪欲さを持って精進していきたいと思います。

初期臨床研修医 第12期生

 8年前、東京女子医科大学の入試面接の際に、私が将来の医師像として挙げたのは「引出しの多い医師になりたい」でした。8年たった今では昔のことですが、その将来の医師像を抱いたのは、当時から開業医として働いていた父の姿を見続けていた影響が大きかったと思います。診療科疾患の治療を行うだけではなく、それぞれの患者の生活背景、その他の併存疾患なども総合的に考え、それぞれの人生と密接に関わった医療を行い、患者の一生に寄り添うことができる父のような医師に自分もなりたいと考え、そのためにも、たくさんのことを経験することで多くの引き出しを持ち、その引き出しを使えるような人間になりたいと考えていました。
 研修期間では、将来内科を専攻したいという希望があった為、2年間の中で多くの内科を研修させていただきました。研修を通してそれぞれの診療科で専門的な知識を身に着け、また多くの患者と接することで、それぞれの人生に寄り添うことができ、教科書での勉強だけでは学ぶことができなかった事を多く経験することができました。
 また、これからの人生の中で一生と言えるような先生方と知り合うことができたことも、この2年間での宝ものになったと思います。研修期間中には多くのことを経験することができましたが、その反面まだまだ自分には足りないところや、不甲斐なさを感じることもありました。自分の仕事に一杯になってしまい、最初に思っていた「患者に寄り添った医療をしたい」ということがおざなりになってしまったことも多々ありました。また、担当患者が亡くなり、看取ることもあり、もっと自分ができることはなかったのかと感じることもありました。
 将来の医師像に関しては、やはり引き出しの多い医師になりたいということは今でも変わっていません。この2年間の研修を終えて、今まで以上に患者に寄り添った医療ができるようになりたいと強く感じました。今後も、自分の将来の医師像に近づけるよう多くのことを経験し、頑張りたいと思います。