オーダーメイド医療“遺伝カウンセリング”

新しい医療分野“遺伝カウンセリング”で
最先端をひた走る「遺伝子医療センター」


東京女子医科大学は2004年、全国の医療機関に先駆けて「遺伝子医療センター」を開設した。遺伝性疾患には難病が多く、受診患者さんやそのご家族の精神的負担は計り知れない。そこで女子医大では、医療と心理の両面からサポートする遺伝カウンセリング体制を構築。一人ひとりの体と心に寄り添った“オーダーメイド医療”を推進している。

 



遺伝子検査を受けたことにより家族の絆が深まった!

 遺伝性疾患で難病の一つとされる病気に、ハンチントン病がある。この病気は大脳の神経細胞が変性し、意志に反して体が動く舞踏運動や認知症などの症状が現れ、40歳前後に発症することが多いとされる。母と兄がハンチントン病であったY子さんは年とともに不安がつのり、まだ30代だった10年前に遺伝子検査で発症の可能性を確かめようと、東京女子医科大学附属遺伝子医療センターを訪れた。
 遺伝子医療センターでは遺伝子検査による発症前診断に当たり、「遺伝カウンセリング」を実施している。遺伝子検査で変異が見つかった場合、想像しているよりも精神的動揺が大きくなる人がまれではないからだ。そのときに必要なのが家族の支えである。そこで、Y子さんの遺伝カウンセリングにはご主人にも参加してもらうことになった。
 初回の遺伝カウンセリングでは遺伝子変異が見つかった場合を想定し、Y子さんをどのように支えていくか、生活面の変化にどう対応していくか、などについて話し合われた。そしてご主人には、今後の人生設計をシミュレーションしたレポートの提出をお願いした。
 提出されたレポートは、自分が介護の勉強をしてY子さんを全面的に支えていくという決意に満ちており、家のバリアフリー化など具体的な生活プランにまで踏み込んだ感動的なものだった。そこで、遺伝子検査による「発症前診断」を学内の倫理委員会に諮問し、検査が行われた。
 結果は、遺伝子変異を示す「陽性」。Y子さんは「予想していたとはいえ、2週間ほど落ち込んだ」そうだ。しかし、ご主人が最新の治療法などをインターネットで情報収集し、それを夫婦で共有するうちに「現実を受け入れ、前向きになれた」という。
 その後、Y子さんは定期的に通院しているが、現在まで発症には至っていない。「遺伝子検査を受けたことで心の準備ができ、精神的なゆとりも生まれました。何よりの収穫は、主人の思いやりの深さを知り、夫婦の絆が深まったことです」と語っている。

 

日本の遺伝子医療専門施設の先駆けとなった遺伝子医療センター

 2003年、ヒトゲノムの全DNAが確定し、遺伝性疾患の診断と治療に明るい光が差し込んだ。その翌年、女子医大は日本で初めての「遺伝子医療センター」を誕生させた。センター開設に至る経緯や役割、目的などについて、所長の齋藤加代子教授に伺った。
 「私はもともと小児科医で、脊髄性筋萎縮症や筋ジストロフィーなど、遺伝性疾患の患者さんを診てきました。こうした病気の診断に以前から遺伝子検査を行ってきましたが、産婦人科をはじめ他の診療科からも、遺伝性疾患やがんなどに関する遺伝子検査の依頼や相談が年を追って増えてきました。そこで、全診療領域を横断的に診察する遺伝子医療センターをつくり、患者さんの治療とご家族の心のケアまでを包括的に行う新しい医療を実践しようということになりました」
 スタート初年(2004年)の遺伝子医療センターの受診患者数は新患・再診合わせて500人弱だったが、2014年には2,700人強へと増大している。ゲノム創薬や遺伝子治療が注目されつつある中で、遺伝子医療センターへの期待も大きく高まってきているのだ。
 ところで、日本人の死因第1位は30年以上、がんが占めている。よく“がん家系”というが、親から子へ遺伝する家族性がんは、がん全体の5~10%程度にすぎない。だが、乳がん、卵巣がん、大腸がん、皮膚がんなどの家族性がんは、50%の確率で遺伝する。
 アメリカの女優アンジェリーナ・ジョリーさんは、2013年に乳がん予防の目的で両乳房の切除手術を行い、今年になって卵巣がん予防のため卵巣と卵管の摘出手術も受けて大きな話題を呼んだ。彼女は遺伝子検査で家族性乳がん・卵巣がん症候群であることが分かっていたため、大胆な結論が下せたのだ。
 だが、日本とアメリカでは医療事情が違う。日本では大多数の人々にとって、遺伝の問題は難しくて分からないことの多い領域だ。分からないから不安や悩みがさらに増す。遺伝の問題で悩む人々は、そんな悪循環に陥っているのではないだろうか。
 遺伝子医療センターがめざしたのは、そうした不安や悩みを抱えた人たちに、遺伝に関する正しい知識や情報、対応策や治療法を示し、遺伝子検査などに対して自己決断ができるようサポートし、その後の治療や精神的なケアまでを一貫して行う「遺伝カウンセリング」を創設することであった。


臨床心理士や認定遺伝カウンセラーなどによるチーム力で対応

 遺伝カウンセリングでは、臨床遺伝専門医、臨床心理士、認定遺伝カウンセラー、看護師などで構成された医療チーが同席し、受診者やそのご家族と面談する。認定遺伝カウンセラーは、齋藤教授が理事長を務める日本遺伝カウンセリング学会と日本人類遺伝学会が共同認定する資格で、2005年に制度がスタート。資格取得者は2014年12月現在161人を数える。
 「受診者が抱える悩みは一人ひとり異なります。私たちの役割は、受診者だけでなくご家族にもかかわる問題に納得のいく決断を下していただけるような環境を整備することです。まずは受診者とご家族の病歴をお聞きし、どのような解決をお求めなのかをしっかりと把握する必要があります。そのため、初回の遺伝カウンセリングは優に1時間を要します」と齋藤教授。
 こうした受診者やご家族の情報をもとに、「スタッフカンファレンス」が開かれる。そこで遺伝子検査の妥当性や今後の方針などが検討される。このように、遺伝カウンセリングでは受診者やご家族の事情を聞いたうえで、遺伝子変異や遺伝の仕組み、遺伝の確率、発症時期、治療法、遺伝子検査を受ける心構えなどについて時間をかけて説明し、疑問や質問に答えながら遺伝子検査を受けるかどうか自己決断できるようカウンセリングを進めていく。
 「遺伝カウンセリング受診者の約40%は、妊婦さんやお子さんの遺伝性疾患を心配するご両親です。重い問題を抱え、遺伝子検査を受けること自体に悩んでいる方も少なくありません。もし陽性だったらと考えるだけで、強いストレスを感じる方。たとえ陰性であっても、兄弟姉妹に遺伝性疾患が受け継がれている場合、自分が免れたことに負い目を感じる方もいます。それだけに、心理面でのフォローが大切になります。こうした遺伝カウンセリングは、学会や学内の倫理規定に沿って行われます」(齋藤教授)。
 遺伝子検査の結果、陽性の判定が出た場合は必要に応じて他の診療科や医療機関、ソーシャルワーカーなどと連携して診療を進める。また発症前の場合は、発症年齢に達するまでの健康維持や生活面での指導、定期検査、さらには不安を軽減する的確なアドバイスなどでフォローしていく。そのため、面談や診療は10年、15年と長期におよぶことが多い。
 

将来への希望を取り戻した受診者とそのご家族

 女子医大の遺伝カウンセリングへの取り組みを、患者さんやご家族はどのように受け止め、評価しているのだろうか。
 仙台市在住のIさんご夫妻は、10歳になる娘さんのカウンセリングと診療のために年2回、女子医大に通っている。「娘が生後8か月の頃、細胞を切り取って検査しなければ病名は確定できないと地方の病院でいわれました。ところが女子医大では、血液による遺伝子検査で診断がつきました。
 筋ジストロフィーと分かり、以来10年近く通院しています。齋藤先生や臨床心理士の方に会い、不安や疑問に丁寧にお答えいただくと、将来への明るい希望が見えてきます」と、医療チームに絶大の信頼を寄せている。
 筋ジストロフィーの息子さんとともに茨城県から通院しているCさんご夫妻は、「息子が小学3年生のときに歩けなくなり、私たちはパニックに陥りました。そのとき齋藤先生から遺伝子について分かりやすく教えていただき、冷静な気持ちを取り戻すことができました。息子の成長過程をずっと見守ってくださっているカウンセラーの方もいて、声をかけていただくだけで心が安らぎます。中学生になった息子の病状も安定しており、3か月に一度の通院を“お出かけ気分”で楽しんでいます」と、明るく語る。
 32歳になるSさん(男性)は皮膚に腫瘍ができる神経線維腫症で、幼少の頃から女子医大に通院し、齋藤教授の遺伝カウンセリングを受けてきた。「この病気は現在のところ治療法がないとされていますが、齋藤先生は常に最先端の治療情報をチェックし、どこまで進んでいるかを教えてくださいます。私が前向きでいられるのは、齋藤先生が心の支えになっているからです」と、病気と闘う強い意志を示してくれた。

最先端の遺伝子医療研究で難病治療にチャレンジ

 齋藤教授は難病の一つである脊髄性筋萎縮症の研究をライフワークとしている。脊髄性筋萎縮症の診断は遺伝子検査で下せるが、治療法はいまだに確立されていない。遺伝子医療センターでは、遺伝子配列に作用する薬剤の中から脊髄性筋萎縮症の治療に役立つ薬剤を見つけ出し、治療につなげる研究に力を入れている。すでに、病気の原因物質である特定たんぱく質を、患者さんから採取した血液で測定する新技術(特許出願中)の開発にも成功している。
 女子医大は文科省の「難病克服!次世代スーパードクターの育成」プログラムに、信州大、札幌医大、千葉大、京都大、鳥取大とともに参加。次世代シーケンサー(DNAの塩基配列解析装置)を用いた遺伝子解析で、難病の診断を迅速かつ正確に下す研究にも取り組んでいる。
 「科学技術の急速な進歩により、高度な遺伝子研究の成果が医療現場で使えるようになり、難病が治る時代の到来が夢ではなくなろうとしています。私たちの目標は、最先端の医療を診療に応用し、遺伝性疾患の治療と予防、患者さんのQOL向上に貢献すること。そして、病気の治療と心のケアを両輪とした遺伝カウンセリングで、社会の期待に応えていくことです」と、齋藤教授は遺伝カウンセリングの普及と難病治療に静かな闘志を燃やしている。

 

「広報誌 Sincere4号より」