研修体験報告

コンピタンシー評価小論文

コンピタンシー評価:初期臨床研修中に出会った医師について

ロールモデルとして学ぶこと

初期臨床研修医第8期生

この二年間弱の研修生活の中で様々な医師と出会い、多くのことを学んだ。学生生活しか送っていなかった自分が、社会人、医療人となり、働くことの難しさや上級医がどれほど大きい影響を与えてくれていたのかを最近よく感じている。現在研修医2年目として、自分が今まで学んだことや感じたことを踏まえて成長し、初期研修中の医師達に少しでも印象に残るような医師として、残りの研修を行っていきたいと思う。

私が特に印象に残ったのは、形成外科を研修させていただいた時のことである。形成外科では朝早くから出勤して病棟の患者さんの処置をし、夜まで手術をするとてもハードな毎日を過ごしていた。そんな中で、長時間に及ぶ難易度の高い手術が行われた。手術は成功したが、翌日、患者さんの手術部位が悪化し、再度夕方から手術となった。疲弊しているにも関わらず、多くの先生が患者さんのことを心配して手術に参加し、夜中まで手術が行われた。しかし、結果としてその手術によっても回復せず、患者さんの大事な組織を無駄にしてしまった。そんな中、オペレーターであるいつも気さくで温厚な先生が、とても真面目な目で私にこう言った。「患者さんはみんな、うまくいっても、いかなくても、ありがとうございましたと言って帰っていく。でも、いつもその無駄にした患者さんの大切な体の部位が私にこう言うんだよ。無念だって。だから、うまくいかなかったらそれで終わりじゃなく、一生忘れてはいけないし、同じことを繰り返さないために、また今日から勉強していくんだ。」

この言葉は、毎日仕事をこなすだけで疲弊していた私の心に強く印象に残り、そして今まで上の先生に指示されたことを淡々とこなし、帰宅するだけの研修生活を後悔した。医師になった以上、自分の限界や可能性を知ることも大切だと思うが、それが分かったとしても自分の努力をやめる理由にはならないことを、この体験を通して強く感じた。

私は以前から形成外科に興味があり、後期研修は別の施設であるが形成外科医として新たなスタートをきる予定である。この形成外科で研修させていただいた数ヶ月の経験を誇りに思う。また、自分自身も様々な人の心に残るような医師として活躍していきたいと、改めて再認識させられた。これからも、努力することを忘れず、いつまでも謙虚な姿勢で邁進していきたい。

コンピタンシー評価:初期臨床研修中に出会った医師について

ロールモデルとして学ぶこと

初期臨床研修医第8期生

私は研修医1年時に、心臓血管外科を研修しました。明るく活気に溢れた先生方と一緒に仕事をさせていただき、お陰でとても充実した、楽しい研修を行うことができました。心臓血管外科は、朝早くからカンファレンスや回診が始まり、手術も緊張感の中で長時間に及びます。また、患者さんの容態が急変しやすく、緊急手術もあり、まさに激務といえる環境でした。そんな心臓血管外科のトップである教授の信念に、大変感銘を受けたことを印象深く記憶しています。ある会で、教授が「自分の私生活が充実していないと、仕事も充実しない。家族を大切にして、良き仲間と交流を深め、そして仕事で力を発揮してほしい。」とお話しされ、とても感動しました。教授は大変ご多忙でありながら、6人のお子さんの父親として家族サービスも欠かさず、家族と幸せな時間を過ごし、医局旅行や様々な懇親会など、どのような会でもいつも仲間と楽しく時間を過ごしていらっしゃるそうです。心臓血管外科の教授、医局長を始め、多くの先生方が患者さんのために常に一生懸命で、勉強熱心で、激務の中でも笑顔で声をかけながら、誇りをもって生き生きと仕事をしている姿を見て、とても良い雰囲気の職場だという印象を受けました。
 

私もこれから出産を控えていますが、母親になっても、教授のように私生活も全力で楽しみ、家族と明るく楽しい時間を過ごし、また、時に友人とも充実した時間を過ごしたいと考えています。女医として、今後もさらに臨床や研究に励み、医療技術の向上のため精進し、患者さんのために全力で医療に取り組み、少しでも社会に貢献していきたいと思います。そして、将来、自分が人をまとめる立場になった時には、教授の信念を思い出し、一緒に働く仲間に伝え共有し、みんなが力を十分に発揮でき、より良い医療を提供できるように、明るく前向きで充実した職場作りをしたいと思いました。

コンピタンシー評価:初期臨床研修中に出会った医師について

ロールモデルとして学ぶこと

初期臨床研修医第8期生

研修医として働き始めて1年半が経ちます。理想と現実は違うということは、何にでもあることだと思いますが、私が学生の頃に考えていた「医師」と実際に研修医になってから感じている「医師」は、予想していたよりも大きく違うものでした。研修医として現場で働き始めたばかりの頃は仕事に慣れず、周囲から求められることに応えられない自分にくじけることや、理想と現実の違いに悩んだこともありました。しかし、その1つ1つの経験から、今、医師免許証を持つ者としてリアルな「医師」の理想像を持つことができました。自分の「医師」としての理想像を書く上で、私の理想像形成に大きく影響を与えた出来事を書こうと思います。
 
私が、ある内科で研修していた際の出来事です。私が受け持っていた患者さんが、徐々に食事摂取不良となり、ある日、急激な腹部の激痛を訴えました。その患者さんは、原疾患で入退院を繰り返しており、その時の入院も、原疾患による全身状態の悪化によるもので、進行度、予後としても大変厳しくもありました。その中で、急に出現した腹部の激痛は今まで訴えたことがなく、また、原疾患との関連は薄いものと考えられ、原因検索のために簡易的な検査を行ったところ有意所見があり、他科にコンサルトすることとなりました。コンサルト先のA先生は、以前に私が研修でお世話になった先生で、外来中にも関わらず私に直接ご連絡をくださり、先生のご指示で行った検査で腹痛の原因はすぐにわかりました。その緊急性から先生は直ちに外来を一時ストップし、なかなか予約の取れない検査室や検査器具を担当の方に掛け合って手配、さらに上級医師のB先生を応援に呼んで、腹痛の原因に対する処置を行ってくださいました。そのおかげで、患者さんは腹痛から解放されることができました。翌日、A先生は私が他科依頼をお願いしていないにも関わらず、患者さんの様子を診に来てくださいました。その翌日も、そのまた翌日もA先生は様子を診に来てくださり、症状が改善するまで、所見の評価や今後の方針についてアドバイスをいただきました。また、A先生と一緒に処置をしてくださったB先生も私に直接ご連絡をくださり、本当に気にかけてくださいました。その患者さんは、腹痛とそれによる食事摂取不良に関しては軽快したものの、私が他科の研修に移ってから原疾患の急性増悪で亡くなりました。しかし、その患者さんは亡くなる直前まで自身の好きなものを食べることができ、患者さんご自身、ご家族、その入院先の科の先生も、そのことだけは本当によかったと言っていたことが印象的でした。

私はこのような出来事を経験し「自分が考え、自分自身で行ったことは最後まで責任を持ち、患者さんに寄り添える医師」になりたいと思うようになりました。最後まで・・・それは大変難しいことかもしれません。私自身も数年後、そのような医師になっていられるか、今の段階ではあまり自信がありません。しかし、その理想像に少しでも近づけるようになりたいと思いながら、毎日仕事をしています。毎日自分ができる仕事をこなすことで、少しでも理想の医師に近づければいいなと思っています。

コンピタンシー評価:初期臨床研修中に出会った医師について

ロールモデルとして学ぶこと

初期臨床研修医第8期生

私が初期臨床研修中に出会い最も印象的だった医師は、ある心臓血管外科の先生です。私は2012年4月から6月までの3ヶ月間、外科必修として、心臓血管外科を研修しました。
 
心臓血管外科は非常に専門性の高い領域であり、初期臨床研修2年目の私にはわからないことが多く、慣れるまでに時間がかかりました。そして、想像通りとても忙しく、手術の時間は他のどの外科よりも長く、術後も急変の可能性があり予断を許さない、そしてこなさなければならない仕事が次々と出てくるという、非常にハードな科だと思いました。そのような労働条件にも関わらず、私が外科医の道を志そうと真剣に考えるようになったのは、その先生の様々な言葉がきっかけでした。心臓血管外科は患者の命に直接関わっており、また非常に繊細で高度な技術が必要とされるため、オペレーターになるには多くの経験と、素早い判断力が必要です。専門書で勉強しただけでは学ぶことが出来ないような、術中の上級医の指導で養われる部分が、非常に多いのです。その先生は、気の抜けない手術の最中でも、後輩の育成のために的確なアドバイスを出し、時に厳しく、時に優しく声をかける余裕がありました。手術中に声を荒げることもありましたが、それは全く理不尽なものではありません。術中に激を飛ばされた先生から「あの先生の言葉は合理的で、しかも、その中には優しさが込められているから、怒られても反発心が湧いてこないんだよ。出来ない自分を反省するような感情しか湧いてこないんだよね。」という言葉を聞いて、後輩の育成の為に真摯に向き合うその先生の姿勢に、尊敬の念を抱きました。手術中、開胸下で動いている心臓を前にして先生が発した、「目の前にいる患者を助けるんだよ!!」「心臓を触ってみろ。これが生きてるってことなんだよ。」という、ドラマでしか聞いたことのないような熱い言葉に、私は非常に心を打たれ、感銘を受けたことを、今でもよく覚えています。
 
心臓血管外科を研修するまでは、外科医という職業に漠然とした憧れを抱いていましたが、女性であるということ、そして非常にハードな仕事であるということから、真剣に考えたことはあまりありませんでした。私に外科医としての選択肢を与えてくださった先生には、本当に感謝しています。そして、いつか自分が後輩を育てる立場になる時がきたら、この先生の数々の言葉を思い出し、先生のような良き指導医になれるよう努めていきたいと思います。

コンピタンシー評価:初期臨床研修中に出会った医師について

ロールモデルとして学ぶこと

初期臨床研修医第8期生

医師となり働き始めてから、1年半が経とうとしています。様々な人々-医師、患者さん、その他コメディカル-と出会い、様々な経験をしました。失敗してしまったこともたくさんありましたが、それ以上に得られたことも多かったと思います。そのような中で、私に将来理想とする医師像を示してくださった先生がいます。その医師(A医師)は私の指導医であり、今までに出会ったどの医師よりも、患者さんに近い位置にあったように思われます。

 “指導医になると患者との距離が遠くなる”と言っていた指導医もいましたが、A医師は毎日朝夕に必ず班の患者さん全員の顔を見に行き、それ以外の時間であっても、足しげく患者さんのところへ通っていました。主治医である私よりも患者さんについて知っているのでは、と思う瞬間もあり、主治医としての意欲を奮い立てられたのを覚えています。
 
実際、A医師によるI.C.においてもその根本的な方針は変わらず、ただ淡々と病状を説明するのではなく、患者さんや家族の表情を見ながら、時には笑みを交え、また世間話をするなどして緊張をほぐしている様子が見てわかりました。話術はさることながら、I.C.の内容自体もそれぞれの患者さんに沿った工夫がされていました。
“I.C.は平易な言葉で分かりやすく”とよく言いますが、I.C.で注意すべきことはそれだけではありません。患者さんによっては言葉のとらえ方や感じ方が、全く異なることがあるからです。そのため、誠意を込めたつもりであっても、それが伝わっていなかったり、いらぬ誤解を与えてしまうこともあります。

 しかし、日々患者さんと会話し、性格を把握しているA医師によるI.C.では、どのような内容であっても終始穏やかに進んでいました。日々会話をしている医師だという安心感、また日々の会話によって得られる信頼感があったからだと思います。

 患者さんに沿った医療、患者さんの精神面までカバーできる医師というのが、誰もが最初に持つであろう目標です。しかし、10年、20年と時を重ねると、それ以外の目標に目を奪われ、患者さんとのふれあいが少なくなりがちです。私自身も様々な先輩医師や患者さんとのふれあいで、自分もあの医師のように手技ができるようになりたい、これを注意していけるようになりたい、と目先の目標をたくさん見出せました。それらの目標を1つ1つこなしていくことも大切です。しかし、様々な技術を身に付けつつ、A医師のような患者に安心感・信頼感を与えられる医師になることが、私の最終的な目標です。

コンピタンシー評価:初期臨床研修中に出会った医師について

ロールモデルとして学ぶこと

初期臨床研修医第8期生

研修医として働き始めて1年数ヶ月、今まで様々な医師と出会い、学ばせていただきました。その中で、今でも忘れられない出会いと、いただいた言葉があります。それは「患者さんに誠実に」という言葉で、日々の研修生活において、私の礎となっている言葉です。
 
この言葉をいただいたのは、私が研修医として働き始めて1ヶ月目のことでした。私の研修医としてのスタートは循環器内科でしたが、パソコン操作、日々の業務の流れ、手技、そして治療など、初めて対応することばかりで戸惑いを隠せませんでした。また、循環器というスピードが要求される科と入院患者さんの多さから、なかなか慣れることができませんでした。求められたことがスムーズにできない毎日、勉強しなければ、という焦りから気持ちが落ち込むこともありました。
 
1ヶ月経過してもあまり状況は変わらず、半ば自暴自棄になることすらありました。ある日、業務が終わった後に、同じチームの上級医が私たち研修医に対して、自分の体験談と「医者というものは」について話をしてくださいました。その中で最も印象的であった言葉が「研修医とは、社会人という責任と、医師という責任を同時に二つ背負うことになった立場であり、戸惑うのは当然。でも、一番大切なのは目の前の患者さんに対して誠実に向き合うこと」という言葉です。疾患についての勉強や所見、日々の業務を覚えることよりも、この研修期間中に、目の前の患者さんに人として誠実に向きあうことを覚え、忘れないでほしいということでした。その医師は、常に患者さんと向き合い、身体所見を丁寧に取り、一心に治療を模索することを惜しまない医師であり、これらは当時の私にはどれ一つとして持っていないスキルで、尊敬の念を抱きながら同じチームの一員として行動をともにさせていただきました。その時、「誠実さ」という信念がこの医師の行動の言動力となっていることに気がつき、目の前の業務から一番大事なことをおろそかにしていた自分に気がつきました。この医師との出会いは私の研修生活にとって忘れられない出会いであり、いただいた言葉は今でも心に残っています。

以来、私も患者さんに誠実に向き合うことを目標としてきました。誠実に向き合うことで信頼関係を得、それにより気になる徴候がおのずと会話から聞き出せるようになりました。また、誠実に向き合ったことで、患者さんの状態を改善させたい、そのためには勉強しなければいけない、疾患についての知識を得よう、と前向きに取り組めるようになりました。
 
「誠実さ」これを教えてくださった医師は、医師として憧れの存在であり、目標です。いただいた言葉を忘れず、少しでもその医師に近づけるよう、今後の医師人生を日々精進していきたいと思っています。

コンピタンシー評価:初期臨床研修中に出会った医師について

ロールモデルとして学ぶこと

初期臨床研修医第8期生

私が初期臨床研修中に出会った医師からロールモデルとして学んだことは、患者さんの主訴と身体診察を重んじることだ。様々な医療機器が開発され、検査方法が多様化する現代で、なぜこれらを重要視する必要があるかというと、日常診療の中でどの検査機器よりも早く患者の異常に気づき、診断に至ることが可能なのは、結局、患者さんの主訴と身体診察で得られた所見であるからだ。
 
研修中には、もっと早くから患者さんの主訴に耳を傾け、変化に気づいていればと思うことがあった。研修医の私には、その症状の重要性や変化に気づかない事であっても、指導医に報告をすると、すぐに患者さんの診察を行い、治療方針を変更し、治療を再開したのである。
 
しかし、主訴と身体診察から診断に至ることは、簡単なことではない。そのためには、臨床現場で些細な変化に気づき、異常所見を見極められるように多くの経験を積むこと、所見と疾患を結びつけるための知識が必要なのだ。ただし、私たちが経験できる症例には限りがあり、全員が同じ経験をできるわけではない。また、同じような主訴を持った患者さんでも、得られる所見は各々で異なり、同じ患者さんであっても、再度同じ所見がとれるとは限らないのである。そこで忘れてはならないのは、一度でも目にしたり、耳にしたり、触れたりして経験した所見を必ず次に活用できるよう、自分の感覚を研ぎ澄まし、患者さんと触れ合う一瞬一瞬に集中することである。そして、その所見が何を意味するかについて、予習・復習することが重要だ。前もって知識を得ていれば診断の幅は広がり、経験した後に特徴的所見が間違っていないことが確認できれば、次への自信につながるのである。
 
今後も多種多様で便利な検査機器を使用していくことは確実であるが、今回の初期研修中に学んだ患者さんの主訴と身体診察を重んじるということを原点に、診療を行っていきたい。そして、患者さんの役に立てる医師として自分を成長させるために、様々な経験と知識を積み、周囲の医師から多くのことを学んでいこうと思う。

コンピタンシー評価:初期臨床研修中に出会った医師について

ロールモデルとして学ぶこと

初期臨床研修医第8期生

初期研修も残すところあと数ヶ月に迫ってきている。今までの研修生活を振り返ってみると、その目まぐるしい日々の中で、私は驚くほどたくさんの先生方、患者さん、コメディカルの方々と出会い、その診療・検査・診断・治療を目にしてきた。医学部で6年間勉強してきたが、教科書通りにいくことなどはほぼ皆無であり、毎日が変化の連続で、勉強と経験の連続であった。同期とお互いの腕を差し出して点滴を初めて入れた時のこと、とっさの判断が出来ずに注意されてしまった時のこと、治療のかいなく患者さんが亡くなってしまった時のこと、そのどれもが、かけがえのない日々であり、医師として最初の地点に立ったばかりの身ではあるが、この2年間でやっと医師として生きる地盤が固まってきたように思われる。
 
そのすべては、私がこの2年間で出会った人々なくしては成し得ないものである。特に指導医の先生方にはどれほど感謝しても足りず、私は恵まれていることに、このような医師になりたいと感じた先生とたくさん出会うことができた。
 
特に印象に残っていることは、外科を回っていた時のことだ。ある入院患者さんのレントゲン検査で、骨折を疑う所見が見つかった。そのことを知るやいなや、班長の先生はその写真を手に持って、「時間がない。病棟なら誰か先生がいるだろう。よし行くぞ。」と言って自ら階段を駆け上がり、整形外科の病棟へ向かった。本来なら整形外科の外来予約をするべきだが、患者さんを思い、自ら迅速に行動するその姿勢に深く感銘を覚えた。
また、ある内科を回っている時のこと、その先生は普段は滅多に怒らないのだが、その日は珍しく怒っていた。理由を聞くと、ある指示を夕方出したが断られたからであった。「患者さんは24時間生きているし、治療に朝も夜もない。どんな場合においても、患者さんに不利益になるようなことがあってはいけない。」そう言った言葉が、私は忘れられない。
 

医療の中心は患者さんである。それは医学部6年間で教わった決して変わらない常識であるのに、ふとした瞬間に忘れがちとなっている自分に気付く。私は今後も医師として生きていくにあたり、どのようなことがあっても、その常識を忘れることなく、数々の先生の尊敬できる、感銘を受けた点を身に付け、日々切磋琢磨し、成長していきたいと思う。

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