“遺伝カウンセリング”

新しい医療分野“遺伝カウンセリング”で
最先端をひた走る「遺伝子医療センター」


東京女子医科大学は2004年、全国の医療機関に先駆けて「遺伝子医療センター」を開設した。遺伝性疾患には難病が多く、受診患者さんやそのご家族の精神的負担は計り知れない。そこで女子医大では、医療と心理の両面からサポートする遺伝カウンセリング体制を構築。一人ひとりの体と心に寄り添った“オーダーメイド医療”を推進している。

 



遺伝子検査を受けたことにより家族の絆が深まった!

 遺伝性疾患で難病の一つとされる病気に、ハンチントン病がある。この病気は大脳の神経細胞が変性し、意志に反して体が動く舞踏運動や認知症などの症状が現れ、40歳前後に発症することが多いとされる。母と兄がハンチントン病であったY子さんは年とともに不安がつのり、まだ30代だった10年前に遺伝子検査で発症の可能性を確かめようと、東京女子医科大学附属遺伝子医療センターを訪れた。
 遺伝子医療センターでは遺伝子検査による発症前診断に当たり、「遺伝カウンセリング」を実施している。遺伝子検査で変異が見つかった場合、想像しているよりも精神的動揺が大きくなる人がまれではないからだ。そのときに必要なのが家族の支えである。そこで、Y子さんの遺伝カウンセリングにはご主人にも参加してもらうことになった。
 初回の遺伝カウンセリングでは遺伝子変異が見つかった場合を想定し、Y子さんをどのように支えていくか、生活面の変化にどう対応していくか、などについて話し合われた。そしてご主人には、今後の人生設計をシミュレーションしたレポートの提出をお願いした。
 提出されたレポートは、自分が介護の勉強をしてY子さんを全面的に支えていくという決意に満ちており、家のバリアフリー化など具体的な生活プランにまで踏み込んだ感動的なものだった。そこで、遺伝子検査による「発症前診断」を学内の倫理委員会に諮問し、検査が行われた。
 結果は、遺伝子変異を示す「陽性」。Y子さんは「予想していたとはいえ、2週間ほど落ち込んだ」そうだ。しかし、ご主人が最新の治療法などをインターネットで情報収集し、それを夫婦で共有するうちに「現実を受け入れ、前向きになれた」という。
 その後、Y子さんは定期的に通院しているが、現在まで発症には至っていない。「遺伝子検査を受けたことで心の準備ができ、精神的なゆとりも生まれました。何よりの収穫は、主人の思いやりの深さを知り、夫婦の絆が深まったことです」と語っている。

 

日本の遺伝子医療専門施設の先駆けとなった遺伝子医療センター

 2003年、ヒトゲノムの全DNAが確定し、遺伝性疾患の診断と治療に明るい光が差し込んだ。その翌年、女子医大は日本で初めての「遺伝子医療センター」を誕生させた。センター開設に至る経緯や役割、目的などについて、所長の齋藤加代子教授に伺った。
 「私はもともと小児科医で、脊髄性筋萎縮症や筋ジストロフィーなど、遺伝性疾患の患者さんを診てきました。こうした病気の診断に以前から遺伝子検査を行ってきましたが、産婦人科をはじめ他の診療科からも、遺伝性疾患やがんなどに関する遺伝子検査の依頼や相談が年を追って増えてきました。そこで、全診療領域を横断的に診察する遺伝子医療センターをつくり、患者さんの治療とご家族の心のケアまでを包括的に行う新しい医療を実践しようということになりました」
 スタート初年(2004年)の遺伝子医療センターの受診患者数は新患・再診合わせて500人弱だったが、2014年には2,700人強へと増大している。ゲノム創薬や遺伝子治療が注目されつつある中で、遺伝子医療センターへの期待も大きく高まってきているのだ。
 ところで、日本人の死因第1位は30年以上、がんが占めている。よく“がん家系”というが、親から子へ遺伝する家族性がんは、がん全体の5~10%程度にすぎない。だが、乳がん、卵巣がん、大腸がん、皮膚がんなどの家族性がんは、50%の確率で遺伝する。
 アメリカの女優アンジェリーナ・ジョリーさんは、2013年に乳がん予防の目的で両乳房の切除手術を行い、今年になって卵巣がん予防のため卵巣と卵管の摘出手術も受けて大きな話題を呼んだ。彼女は遺伝子検査で家族性乳がん・卵巣がん症候群であることが分かっていたため、大胆な結論が下せたのだ。
 だが、日本とアメリカでは医療事情が違う。日本では大多数の人々にとって、遺伝の問題は難しくて分からないことの多い領域だ。分からないから不安や悩みがさらに増す。遺伝の問題で悩む人々は、そんな悪循環に陥っているのではないだろうか。
 遺伝子医療センターがめざしたのは、そうした不安や悩みを抱えた人たちに、遺伝に関する正しい知識や情報、対応策や治療法を示し、遺伝子検査などに対して自己決断ができるようサポートし、その後の治療や精神的なケアまでを一貫して行う「遺伝カウンセリング」を創設することであった。


臨床心理士や認定遺伝カウンセラーなどによるチーム力で対応

 遺伝カウンセリングでは、臨床遺伝専門医、臨床心理士、認定遺伝カウンセラー、看護師などで構成された医療チーが同席し、受診者やそのご家族と面談する。認定遺伝カウンセラーは、齋藤教授が理事長を務める日本遺伝カウンセリング学会と日本人類遺伝学会が共同認定する資格で、2005年に制度がスタート。資格取得者は2014年12月現在161人を数える。
 「受診者が抱える悩みは一人ひとり異なります。私たちの役割は、受診者だけでなくご家族にもかかわる問題に納得のいく決断を下していただけるような環境を整備することです。まずは受診者とご家族の病歴をお聞きし、どのような解決をお求めなのかをしっかりと把握する必要があります。そのため、初回の遺伝カウンセリングは優に1時間を要します」と齋藤教授。
 こうした受診者やご家族の情報をもとに、「スタッフカンファレンス」が開かれる。そこで遺伝子検査の妥当性や今後の方針などが検討される。このように、遺伝カウンセリングでは受診者やご家族の事情を聞いたうえで、遺伝子変異や遺伝の仕組み、遺伝の確率、発症時期、治療法、遺伝子検査を受ける心構えなどについて時間をかけて説明し、疑問や質問に答えながら遺伝子検査を受けるかどうか自己決断できるようカウンセリングを進めていく。
 「遺伝カウンセリング受診者の約40%は、妊婦さんやお子さんの遺伝性疾患を心配するご両親です。重い問題を抱え、遺伝子検査を受けること自体に悩んでいる方も少なくありません。もし陽性だったらと考えるだけで、強いストレスを感じる方。たとえ陰性であっても、兄弟姉妹に遺伝性疾患が受け継がれている場合、自分が免れたことに負い目を感じる方もいます。それだけに、心理面でのフォローが大切になります。こうした遺伝カウンセリングは、学会や学内の倫理規定に沿って行われます」(齋藤教授)。
 遺伝子検査の結果、陽性の判定が出た場合は必要に応じて他の診療科や医療機関、ソーシャルワーカーなどと連携して診療を進める。また発症前の場合は、発症年齢に達するまでの健康維持や生活面での指導、定期検査、さらには不安を軽減する的確なアドバイスなどでフォローしていく。そのため、面談や診療は10年、15年と長期におよぶことが多い。
 

将来への希望を取り戻した受診者とそのご家族

 女子医大の遺伝カウンセリングへの取り組みを、患者さんやご家族はどのように受け止め、評価しているのだろうか。
 仙台市在住のIさんご夫妻は、10歳になる娘さんのカウンセリングと診療のために年2回、女子医大に通っている。「娘が生後8か月の頃、細胞を切り取って検査しなければ病名は確定できないと地方の病院でいわれました。ところが女子医大では、血液による遺伝子検査で診断がつきました。
 筋ジストロフィーと分かり、以来10年近く通院しています。齋藤先生や臨床心理士の方に会い、不安や疑問に丁寧にお答えいただくと、将来への明るい希望が見えてきます」と、医療チームに絶大の信頼を寄せている。
 筋ジストロフィーの息子さんとともに茨城県から通院しているCさんご夫妻は、「息子が小学3年生のときに歩けなくなり、私たちはパニックに陥りました。そのとき齋藤先生から遺伝子について分かりやすく教えていただき、冷静な気持ちを取り戻すことができました。息子の成長過程をずっと見守ってくださっているカウンセラーの方もいて、声をかけていただくだけで心が安らぎます。中学生になった息子の病状も安定しており、3か月に一度の通院を“お出かけ気分”で楽しんでいます」と、明るく語る。
 32歳になるSさん(男性)は皮膚に腫瘍ができる神経線維腫症で、幼少の頃から女子医大に通院し、齋藤教授の遺伝カウンセリングを受けてきた。「この病気は現在のところ治療法がないとされていますが、齋藤先生は常に最先端の治療情報をチェックし、どこまで進んでいるかを教えてくださいます。私が前向きでいられるのは、齋藤先生が心の支えになっているからです」と、病気と闘う強い意志を示してくれた。

最先端の遺伝子医療研究で難病治療にチャレンジ

 齋藤教授は難病の一つである脊髄性筋萎縮症の研究をライフワークとしている。脊髄性筋萎縮症の診断は遺伝子検査で下せるが、治療法はいまだに確立されていない。遺伝子医療センターでは、遺伝子配列に作用する薬剤の中から脊髄性筋萎縮症の治療に役立つ薬剤を見つけ出し、治療につなげる研究に力を入れている。すでに、病気の原因物質である特定たんぱく質を、患者さんから採取した血液で測定する新技術(特許出願中)の開発にも成功している。
 女子医大は文科省の「難病克服!次世代スーパードクターの育成」プログラムに、信州大、札幌医大、千葉大、京都大、鳥取大とともに参加。次世代シーケンサー(DNAの塩基配列解析装置)を用いた遺伝子解析で、難病の診断を迅速かつ正確に下す研究にも取り組んでいる。
 「科学技術の急速な進歩により、高度な遺伝子研究の成果が医療現場で使えるようになり、難病が治る時代の到来が夢ではなくなろうとしています。私たちの目標は、最先端の医療を診療に応用し、遺伝性疾患の治療と予防、患者さんのQOL向上に貢献すること。そして、病気の治療と心のケアを両輪とした遺伝カウンセリングで、社会の期待に応えていくことです」と、齋藤教授は遺伝カウンセリングの普及と難病治療に静かな闘志を燃やしている。

 

「広報誌 Sincere4号より」

ストレス・ケアのすすめ

健康維持・予防セミナー
 漢方によるストレス・ケアのすすめ


JR田端駅前のビル内にある東京女子医科大学東洋医学研究所クリニック。
ここは漢方によるストレス不調の治療に定評があり、
待合室は連日、遠方からも訪れる患者さんたちでいっぱいである。


■健診では特に問題はなかったが…

 健康診断では何も異常がないのに、「疲れやすい」、「かぜをひきやすい」といった不調を訴える人が少なくない。働き盛りの40代後半の男性Kさんもそんな一人で、奥さんのすすめもあって東洋医学研究所クリニックを訪れた。対応したのは同研究所副所長を務める木村容子准教授。ベストセラーとなった『女40歳からの「不調」を感じたら読む本』や『ストレス不調を自分でスッキリ解消する本』などの著者としても知られる。

 木村准教授はまず問診を行い、Kさんは「夕食が夜10時前後になることが頻繁」、「朝食を抜くことが多い」、「忙しくなると頭痛・腹痛に襲われる」、「休日はゴロゴロしているが疲れがとれない」、「運動はしていない」といったことが分かった。次に、Kさんの舌の状態(望診)、脈や腹部の診察(切診)をすると、消化器への負担を示唆する反応も認められた。

 これらの診察の結果、Kさんは「気(エネルギー)」が衰えている状態であることが判明した。仕事の忙しさや人間関係、不規則な食生活などがストレスとなってエネルギーを消耗し、気持ちまで滅入っていたのである。


■自分で自分にストレスを与える

 ストレスは、医学的には「生体に何らかの刺激が加えられたときに生じる生体側の歪み」と定義づけられている。もともと人間の体には、ストレスを受けても歪まずに体内環境を一定に保ち続ける機能が備わっている。この機能を「ホメオスタシス」(恒常性維持機能)といい、「神経系」「内分泌系」「免疫系」の3つから成り立っている。

 神経系は、呼吸や心拍、循環、消化など生命を維持するために必要な働きを持つ神経の流れ。内分泌系はホルモンの働きのことで、環境や体調の変化に体をうまく順応させる役割を果たす。そして免疫系は、体が外界からのウイルスや細菌を攻撃・殺傷して自分の身を守る力のことである。

 このホメオスタシスがきちんと機能していれば、多少のストレスがかかっても健康な状態を保つことができる。しかし、3つの仕組みのバランスが崩れるほどの強いストレスがかかると、体に歪みが生じて不調を覚える。そして、不調を放っておくと図表①のような病気の域にまで悪化してしまう。

 漢方では、心身の歪みを生じさせる原因を「外因」「内因」「不内外因」の3つに分けている(図表②参照)。外因とは体の外から来る原因のことで、気候の変化など6つの環境要因を指す。いずれも心身に害を及ぼすことから「六邪」と呼ばれる。内因とは7つの感情の変化を指し、「喜ぶ」といったプラスに思える感情も過度に及ぶとストレス要因になる。不内外因は寝不足や不摂生な食生活、過労などを指す。これらはまさに、自分で自分にストレスを与えている生活習慣といってよい。つまり、“自分ストレス”によって不調を引き起こすわけである。

 

■養生することの大切さを知る

 さて、冒頭のKさんに対して木村准教授は、胃腸の働きを整え頭痛や腹痛などにも有効な「柴胡桂枝湯」という漢方薬を処方した。西洋医学の処方では症状ごとにいくつかの薬が処方されるのが一般的だが、漢方医学ではKさんの例のようにたった1つの薬だけで対応するというケースも少なくない(図表③参照)。木村准教授はKさんに養生法(生活の改善)もアドバイスした。「気を補うのは食事と睡眠」、「気を体全体に巡らせるには運動が重要」という基本的な考えのもと、「夕食から就寝まで3時間は空ける」、「夕食が遅くなる場合は軽めに抑えて安眠を心がけ、朝食をしっかりとる」、「休日には軽い運動をして汗を流す」よう促した。

 東洋医学研究所では患者さん自身が自覚症状を評価するシステムを独自に開発し、診察に活用している。自覚症状の頻度を「0.なし、1.まれに、2.ときどき、3.ほぼいつも、4.いつも」、程度を「0.なし、1.わずかに、2.少し、3.かなり、4.非常に」とそれぞれ5段階で表し、患者さんに来院のつど評価してもらうというものだ。Kさんは初診時、「疲れやすい」、「かぜをひきやすい」、「眠りが浅い」、「食後に眠くなる」、「やる気が出ない」などの自覚症状がいずれも「3~4」の評価だった。だが、漢方薬の処方と木村准教授のアドバイスによって1カ月後に頭痛や腹痛がなくなり、3カ月後にはかぜもひかなくなってやる気が出てきた。自覚症状の評価もすべて「0~1」に改善したという。

 Kさんは、「養生法の実践によって自分の生活の問題点と改善点が分かり、体調を大きく崩すことがなくなりました」と、毎日元気に働いているとのことだ。


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~85年の歴史~

惜しまれつつ幕を閉じた85年の歴史を振り返る

東京女子医科大学を象徴する建物として親しまれてきた一号館。
隣接の二号館・臨床講堂とともに85年におよぶ役割を終え、新校舎棟として甦るべく建て替え工事が始まった。
そこで、女子医大関係者の心の支えとなってきた由緒ある歴史的建造物・一号館を振り返ってみよう。



◆昭和の名建築家・増田清が設計
 1930(昭和5)年に建設された一号館は、建築家・増田清の設計による建物である。増田は1913(大正2)年に東京帝国大学工学部建築学科を卒業。恩師の佐野利器は耐震を重視した建築構造の専門家で、増田が鉄筋コンクリート造の建物を数多く設計するようになったのは、佐野の影響が大きいとされる。増田は卒業後も佐野の指導の下、内務大臣官邸の設計などに従事。その後、安藤組大阪支店や大阪府土木課を経て独立し、大阪や広島で学校をはじめとする建造物の設計を数多く手がけた。
 明治以降、日本の洋風建築はレンガ造りが主流であったが、増田は日本の近代化に鉄筋コンクリート造の建物が不可欠と考え、その普及に力を注いだ。特に大阪では、「増田清なしに鉄筋コンクリート建設は語れない」といわれたほど、その名をとどろかせた。現存する増田作品には、国の登録有形文化財に指定されている大阪市の三木楽器本社社屋や、原爆に耐えた広島市平和記念公園レストハウス(旧大正屋呉服店)などがある。
 増田が独立したのは、1923(大正12)年に発生した関東大震災の翌年で、鉄筋コンクリート造への関心が大きく高まっていた時期であった。そうした中、一号館は東京女子医学専門学校附属病院として建てられた。当時、女子医専の副校長だった吉岡正明の母校である大阪府立医科大学(現在の大阪大学医学部)の病院も増田の設計であり、そのほかにも増田は病院設計で名声を得ていた。そうした実績を踏まえて、増田に設計を委ねたものと思われる。増田は一号館に続き、二号館と臨床講堂の設計にも携わることとなった。

 

  

◆機能的で合理的な十字放射型プラン
 増田は、耐震性に優れた鉄筋コンクリート構造を基本に、機能的で合理的な設計を得意とした建築家だった。一号館では日本で初めての「十字放射型病院建築」プランを提案。十字放射型プランは、①壁面が多いため多くの窓が設置でき採光や風通しがよい、②エレベーターを用いた効率のよい動線計画が可能、③交差部から各病室への目配りがしやすい、④増築がしやすい、などのメリットがある。
 この日本初の病院建築プランについて、創立者の吉岡彌生は伝記の中で「学校の附属病院は、暗い冷たい部屋が一つもないように、理想的な病院をつくりたいと思いまして、十字形放射状という面白い設計を選んでみました」と述べている。
 増田は優れたデザイナーでもあった。一号館の外壁は、細かい溝が印象的なスクラッチタイルを基本とした全面タイル張りである。大正・昭和のモダン建築を象徴するこの手法は、その後の世界恐慌や戦時体制などで採用が難しくなり、古き良き時代をしのばせるノスタルジックなデザインとして近年に至るまで評判を呼んだ。
 正面玄関の庇の中央部には、校章をモチーフとしたテラコッタ(素焼きタイル)製のレリーフを配置。その周りや入口周辺には、波や丸い突起などの意匠を凝らしたタイルが用いられ、落ち着いた中にも軽やかさを感じさせる工夫がなされていた。
 一号館・二号館・臨床講堂は、85年の歴史に幕を下ろした。しかし、ここで学び、教え、医療に専念した人々の熱い思いは、跡地に建設が予定されている新校舎棟に受け継がれていくに違いない。
 
― 解体中の一号館 ―

  

ー外来患者付き添い実習ー

患者さんとの対話を通じて 医師への第一歩を踏みだす


猛暑を引きずりながらも秋の気配が感じられるようになった2013年10月初旬。
その日、東京女子医科大学病院の外来では、白のポロシャツにスラックス姿の若い女性が散見された。


 

    

<女子医大ならではの人間関係教育>

 医療は、医師と患者さんとのコミュニケーションから始まる。医師が温かい心をもち、患者さんだけでなくそのご家族とも心の通う人間関係を築くことが医療の第一歩となる。女子医大では、そうした人間関係をテーマとした「人間関係教育」を、20年以上も前から実践している。

 女子医大の人間関係教育は、「人として・医学生として・医師として・女性医師として、“慈しむこころの実践力”を養う」ことを目的とし、そのためのカリキュラムとして講義やワークショップ、実習などのプログラムが、1~6学年それぞれに組まれている。

 「人間関係教育は、学内のさまざまな専門分野のスタッフから成る人間関係教育委員会が運営しています。委員会は学年ごとに設けているわけではなく、一つの委員会のもとに1~6学年までを体系的にとらえたカリキュラムを構築しています。それが女子医大の人間関係教育の大きな特徴です」と、人間関係教育委員会の委員長を務めている齋藤加代子教授(附属遺伝子医療センター所長)は、1学年から6学年までの一貫教育体制を実現していることを強調する。


<患者さんの視点から医療を考える>
 
 別表は、人間関係教育における実習プログラムの内容である。昨秋、女子医大病院の外来で目にした白のポロシャツにスラックス姿の女性たちは、この中の「外来患者との医療対話」を実習していた2学年生だったのである。
 
 この実習は「外来患者付き添い実習」と称し、外来患者さんに付き添うことによって受診者側の視点から医療を考えることを主旨としている。受付から待合い、診察、検査、会計に至るまで患者さんと行動を共にし、外来における患者さんの一連の流れをご家族の立場に立って体験する。それによって実際の医療現場を観察し、医師の役割を理解しようというのが狙いである。

 人間関係教育委員会副委員長の岡田みどり教授(医学部化学教室)は、「この実習では学生が自ら患者さんとコミュニケーションを図っていかなければなりません。その意味で、将来患者さんと良好な人間関係を築くことができる医師になるためのスタートラインともなります。そうした機会はなるべく早い段階に設けるべきだとの考えから、2学年生を対象としています」と、低学年から実際の医療現場において体験実習を行うことの意義を説明する。

<実習後は医療人としての自覚も生まれる>

 
 学生たちはこの外来患者付き添い実習をどのように受け止めているのだろうか。齋藤教授は次のようにいう。「患者さんと身近に接しながら話をするという機会は、とても新鮮なようです。教員から教えられる講義と違って患者さんの生の声を聞くわけですから、医師となって医療に携わっていくという自覚も生まれてきます。自ずと目の輝きも違ってきて、実習後はだんだんと医療人の目になってきます」

 岡田教授は外来患者付き添い実習の効果について、「遠方からの患者さんや待ち時間が長かった患者さんに付き添った学生が、わざわざ女子医大病院に来られる理由を聞いて誇らしく思うというケースもあれば、ドクターがもっとやさしく患者さんに接すればいいのにと思う学生もいます。そうした患者さんの視点に立った体験を経ることによって、しだいに医師としての視点を持つようになります」と語る。
 このように、女子医大の学生は外来患者付き添い実習で患者さんと接することにより、医師への第一歩を踏みだすのである。

  

国際交流プログラム

文化交流を含む充実したプログラムが自慢

汗ばむほどに晴れわたった5月下旬の某日。静岡県掛川市の東京女子医科大学大東キャンパスは、
アメリカからやってきた女子学生と交流する看護学部1年生の明るい笑顔が絶えなかった。



茶道の奥深い所作と作法を体験
 この日、東京女子医大看護学部と国際交流協定を結んでいる米アルバーノ大学(ウィスコンシン州ミルウォーキー)の学生たちが大東キャンパスを訪れ、文化交流の一環として茶道と書道を体験。
茶道には全員が浴衣姿で臨んだ。
 「茶道には“一期一会”という教えがあります。茶をともにするのは一生に一度と心得て、主客とも誠意を尽くす心構えを意味しています」という茶道の講師の話を神妙に聞いたあと、いよいよお茶会がスタート。まず菓子が配られ、茶道の素養のある学生から所作・作法を聞きながらお点前を受けた。さすがに畳の上での正座ではなく、イスに座ったままでのお茶会であった。
 会場には大東キャンパスの学生20人以上が見学に詰めかけた。彼女らにも菓子とお茶がふるまわれ、アルバーノ大学の学生とともに茶道を学んだ。











 「アメリカでも日本茶を楽しめますが、茶道を経験したのは初めてです。茶碗を回すという動作には、茶碗の正面を避けて口にするためといった意味があることを知り、奥が深いと思いました」
 「実際に茶道を体験してみると、日本人の“おもてなし”の心がよく分かります。そして、お茶はとてもリラックスさせてくれました」
 「私は日本の文化に興味がありますので、茶道がプログラムに組み込まれていたのはラッキーでした。一期一会の教えも、なんとなく理解できたような気がします」
 茶道を体験したアルバーノ大学の学生たちからは、こういった声が聞かれた。
 また、浴衣がお気に入りだという学生は、「家族へのおみやげとして、すでに扇子とともに浴衣を手に入れました」という。


書道初体験で趣のある書を披露
 一方の書道は、アルバーノ大学の学生一人ひとりの名前を、漢字を当てて表記し、それぞれがその文字を書くことにチャレンジするという形で行われた。例えば、「エレン」という学生の名前は「笑恋」、「サバ」という名は「茶葉」、「マリア」は「麻梨亜」といった具合だ。
 いずれも女子医大の学生たちが考え出したものだが、「エレン」を「笑恋」と表記するところなどはなかなかしゃれている。また、「サバ」という名を「茶葉」としたのは、いかにもお茶の産地・掛川らしく、お茶摘みを年中行事としている大東キャンパスの学生ならではのアイデアだ。その説明を受けたサバさんは、「とても光栄です」と、深くうなずいていた。
 書道初挑戦にもかかわらず、なかなか上手に「麻梨亜」と書いた当のマリアさんは、「やはり漢字は難しいですね。すらすら書くというわけにはいきませんでした」と謙遜する。とはいえ、その書には人を引きつける独特の趣があり、とても書道が初めてとは思えなかった。聞けば、彼女はアートや造形に興味を持っているという。おそらくそうした感性が書に反映されたのであろう。
 「笑恋」という漢字のそれぞれの意味を知ったエレンさんは、文字どおり笑顔で書道にチャレンジ。それを見守っていた女子医大の学生たちは、力強く書き上げた「笑恋」の文字に喝采を送っていた。


実りある英語でのディスカッション
 アルバーノ大学の学生たちが教員とともに来日したのは5月24日の夕方。毎年行われている女子医大との国際交流が目的で、女子医大からも毎年8月に4年生の代表者6人がアルバーノ大学に派遣されている。
 来日した一行は翌25日午後に河田町キャンパスを訪れ、夜は女子医大の敷地内にあるレストランで行われたウェルカムディナーに出席。8月にアルバーノ大学を訪れる女子医大の学生も参加し、交流を図った。ディナーには寿司や蕎麦も用意され、アルバーノ大学の学生たちは日本食も楽しんだ。その中の一人は、「シカゴやミルウォーキーでもお寿司を食べられますが、やはり日本で食べるお寿司の味は格別です」と頬をゆるめる。
 余談だが、この日の午後2時半前、埼玉県北部を震源とする最大震度5弱の地震が発生。東京新宿区は震度4を記録し、河田町キャンパスも大きな揺れに見舞われた。地震を知らないアルバーノ大学の学生たちにとっては、来日早々のまさかのサプライズ。一様に恐怖と不安を覚えたようだ。
 
 26日の午前中は、2年生の英語の授業に参加。いくつかのグループに分かれ、英語によるディスカッションが展開された。午後は病院の見学とTWIns(先端生命医科学研究所)視察などに時間が割かれた。翌27日は女子医大とアルバーノ大双方の教授による講義を受講し、3年生の英語の公開授業に参加。そして28日に掛川へ移動したのである。
 大東キャンパスでは1年生全員が10グループに分かれ、各グループにアルバーノ大学の教員・学生が一人ずつ加わって英語によるセッションが行われた。そのあと、冒頭で紹介した茶道と書道が行われたわけである。
 一行はその後、広島と京都を訪れ、再び東京に戻って訪問看護ステーションなども見学し、6月5日に帰国の途についた。既婚者で子を持つ親でもある学生の一人は、「アメリカでは私のように子どもがいても再び大学へ通ってキャリアを積む人が少なくありません。そこが日本と大きく違うところでしょう。女子医大の看護学部の学生は違った環境の2つのキャンパスで学ぶわけですが、このシステムはとても良い効果をもたらしていると思います」と語ってくれた。
  
  

 看護学部ではハワイパシフィック大学、韓国の梨花女子大学とも国際交流協定を結んでおり、毎年7月にハワイパシフィック大学短期研修、3月に梨花女子大学短期研修が実施されている。ハワイパシフィック大学短期研修は1~3年生を主体としたもので、学生に人気が高く、2014年度の参加者は32人にのぼった。今年度も19人の参加を予定している。梨花女子大学短期研修は2011年度からスタートし、これまで累計で26人が参加、受入学生数も20人を数えている。
 アルバーノ大学短期研修を含め、2014年度に派遣された学生たちの声を拾ってみよう。ハワイパシフィック大学短期研修に参加したN.K.さんは、「スキルスラボではシミュレーションモデルを用いて脈拍の触知や呼吸音の聴取など臨床技能のトレーニングを行うことができ、さまざまな疾患や症状の特徴をつかむことができました」と、スキルスラボの充実ぶりを評価する。
 アルバーノ大学短期研修に参加したS.H.さんは、「現地の多くの学生たちが、学内でキャリーケースや大きなリュックサックを持ち歩いているのが印象的でした。分厚い教科書や長い時間をかけて予習した資料などを用意して授業に臨むからです。そういう姿勢にはとても刺激を受けました」と、日本の大学との違いを指摘する。
 大学院生のA.O.さんは梨花女子大学短期研修に参加し、「梨花の学生はプレゼンテーション能力が高く、課題への取り組みや講義への事前準備が真摯で、世界のリーダーをめざすという意識を持ちながら学んでいることに感銘しました」という。そして、「自分がなすべきミッションを明確に持つ必要性を痛感しました」と、研修の成果に言及してくれた。

「広報誌 Sincere4号より」
 

心臓病治療で国際貢献

ミャンマーの子供たちに笑顔を! 心臓病治療で国際貢献

本学は国立循環器病研究センター、NPO法人ジャパンハート、そして「明美ちゃん基金」とともに心臓病で苦しむミャンマーの子供たちを救うための医療支援プロジェクトに参加します。


 
(今回の事業で支援先となる国立ヤンキンこども病院)

(1)医療支援プロジェクト

ミャンマーは軍事政権から民主主義政体への転換に伴い、経済発展が注目されていますが、医療については依然発展途上にあります。特に先天性心疾患の分野については専門医がほとんどおらず、通常であれば治療が行われるような小児の患者でも、その多くが医療を受けることできない状態です。こうした現状から、「明美ちゃん基金」を活用することで、ミャンマーにおける先天性心疾患を専門とする医療スタッフの育成を行い、医療水準の向上を図るのがこのプロジェクトです。

具体的には、現地の患者への診療行為を通じてミャンマーの医療スタッフの教育を行うことと、医療スタッフを日本に招いて教育することの二本立てになっています。内科系は中西敏雄前循環器小児科教授をはじめとした本学の医師を中心に、小児心臓外科については市川肇国立循環器病研究センター小児心臓外科部長を中心に担当していくことになっています。事業期間は5年で、研修施設はミャンマーでは国立ヤンキンこども病院、日本では東京女子医科大学病院と国立循環器病研究センターとなる予定です。
 

(国立ヤンキンこども病院の手術室を視察する中西敏雄・前東京女子医大循環器小児科教授(中央))

  国立ヤンキンこども病院はミャンマーの小児病院で唯一の心臓病手術室を備える小児循環器治療の中心的施設ですが、技術的には体重10kg以下のこどもの手術は難しく、経験にも乏しい状態です。単に医療を提供するだけでなく、ミャンマーの医師が自らこどもたちの命を救えるよう、人材育成を行う必要があると判断され、今回のプロジェクトがスタートすることになりました。

(2)「明美ちゃん基金」とは?

今回のプロジェクト推進に伴う医療費、研修費、渡航費、宿泊費等の費用は、全額が「明美ちゃん基金」から支払われます。「明美ちゃん基金」とはいったいどのようなものなのでしょうか。
明美ちゃん基金は、先天性心臓病などに苦しみながら経済的な事情で手術を受けることができない子供たちを救うため、産経新聞社が提唱して設立された基金で、活動資金はすべて読者を中心とする一般の人たちからの寄託金で賄われています。50年近くにわたり、100人を超える幼い命を救ってきました。

基金のはじまり

1966年(昭和41年)、1通の投書がきっかけになり、産経新聞に鹿児島在住の5歳の女児、明美ちゃんの記事が載りました。心室中隔欠損症があり、手術費用は50万円、現在の約 500万円相当でした。 当時は現在のようなさまざまな医療費助成がない時代で、家族にとって高額すぎる費用でした。 家族の「貧しいが故に死なねばならぬか」という訴えが記事になりました。 記事は反響を呼び、1週間後には全国からの寄付が420件、425万円余りに達したといいます。手術は1966年、当時心臓病の世界的権威といわれた本学附属心臓血圧研究所所長 榊原仟教授の執刀の下で行われ、成功しました。産経新聞社が、明美ちゃんの両親や榊原教授らと協議し、心臓病の子供を救う基金として「明美ちゃん基金」を設立しました。その後、同じような患者さんに「明美ちゃん基金」が適用され、心臓病の子供たちが手術を受けることができました。

 
(榊原教授と握手をしている明美ちゃん。右端は循環器小児科 高尾篤良教授(産経新聞社 提供))

基金の発展

「明美ちゃん基金」の報道がきっかけとなり、厚生省(当時)が1967年から育成医療費を増額し、心臓病を支給対象に含めるなど、心臓手術の医療費は健康 保険や公的扶助でほぼカバーされるようになりました。国内で対策が進むにつれ、基金は発展途上国の子供たちを救うために使われるようになりました。ネパール、韓国、カンボジア、マレーシア、ラオス、ペルーなど多数の国の子供に適用され、日本で手術を受ける援助をしています。手術を受けたインドネシアの子供が、成人した後アメリカで事業を興して成功し、最近基金に寄付したこともあります。ペルーの子供は、病院まで歩いて数日かかる村から来ました。フジモリ大統領時代で、退院時には東京のペルー大使館でパーティが開かれ、女子医大関係者も招待されました。


 (明美ちゃん基金の適用を受けて来日したペルーの少女(産経新聞社 提供))

基金には、今なお日本全国からの寄付が続いています。中学生の小遣いからと思われる少額のものもあれば、有志の方の高額のものもあるようです。基金は、心臓手術の援助のほか、学術講演会の後援にも使われています。


今回の事業では、現地の子供たちを治療するだけではなく、医療行為を通じた現地医療関係者に対する教育を支援の柱に据え、ミャンマーにおける小児循環器の医療レベルを向上し、先天性心疾患の子供たちを治療できる専門医をはじめとした医療関係者の養成を目指します。心臓病に苦しむこどもたちの笑顔を取り戻すため、本学は新たな一歩を踏み出します。

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「明美ちゃん基金」への振り込みは、みずほ銀行東京中央支店(店番号110)普通預金口座567941「産経新聞社会部明美ちゃん基金」。郵送の場合は、現金書留で〒100―8077 産経新聞東京本社社会部「明美ちゃん基金」。
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