
当教室の母体となる東京女子医専耳鼻科診察室は、大正4年に開設されました。当初は診療とポリクリを開設者である大正3年卒の菅沼志津子が担当し、講義と手術の際には鉄道病院等から外来講師を招聘しました。
昭和7年に、初代主任教授として九州大学出身の海軍少将石原亮を迎えました。
当教室の母体となる東京女子医専耳鼻科診察室は、大正4年に開設されました。当初は診療とポリクリを開設者である大正3年卒の菅沼志津子が担当し、講義と手術の際には鉄道病院等から外来講師を招聘しました。
昭和7年に、初代主任教授として九州大学出身の海軍少将石原亮を迎えました。
続いて昭和17年には東京女子医専卒の佐藤イクヨが主任教授となりました。昭和10~25年頃の教室の中心的な研究テーマはジフテリアであり、これは当時声門下閉塞等による死亡例が多かったため、盛んに研究されました。
昭和18年: 佐藤イクヨ 悪性ヂフテリーに就て
〔現代仮名遣い版〕
昭和18年: 窪敦子 樹枝状を呈せるヂフテリー性喉頭、氣管、氣管枝義膜の二例
〔現代仮名遣い版〕
佐藤イクヨ 退任教授最終講義録(昭和42年)