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2020年03月17日スポーツを通して得た経験を予防医療に
東京女子医科大学循環器内科に勤務したあと父のクリニックを継ぎ、杉並区医師会の副会長として地域医療に尽力している稲葉貴子さんは、“アイアンマン”と呼ばれる距離の長いトライアスロンレースにも出場しているアスリートとしても知られる。

■ 父の葬儀のときに医院を継ぐ決心
 2代続く医家で2人姉妹の長女に生まれた私は、小さい頃から後継ぎにといわれながら育ち、必然的に医学の道に進みました。女子医大を卒業して小児科の医局にいた15歳年上のいとこから、「勉強するにはとてもいい環境」だといわれ、女子医大に進学。そのいとこ(大澤真木子氏)は、2013年まで小児科の主任教授を務めていました。
 部活はスキー部に属し、冬はもとより夏も山で楽しく合宿生活を送ったことがよき思い出です。2年生のとき、合宿先に「物理の追試を受けるように」との連絡が入り、急いで東京へ帰って試験を受け、また合宿所へ戻るといった苦い経験をしました。物理はいまだに苦手意識がありますね。
 卒業後は、当時花形だった循環器内科に入局しました。循環器の病気は、重症でも病院の処置が間に合えば助かるケースが多いというのも、入局理由の一つでした。“飛ぶ鳥を落とす勢い”の循環器内科でしたから、結婚して出産後もよく勉強し、いい経験をさせていただきました。
 入局して11年目の1995(平成7)年12月、父が亡くなりました。地域のたくさんの人たちが霊柩車を見送ってくださるのを目にしたとき、父の医院を継ごうと決心しました。子育てをしながら大学病院で仕事をするのは難しいと悩んでいたときでもあり、林医院へ帰ってくることにしたのです。ここなら仕事と子育てを両立することができるだろうと。

 走っていると無心になれる
 人は病気の陰に隠れて生きているわけではありません。病気やケガ、障害があっても、それがその人のすべてではありません。ですから、その人らしく生きていけるようサポートするのも医師の仕事だと思います。大学病院にいたときは重い病気の患者さんが多かっただけに、患者さんに何かを我慢していただいても救命することが優先でしたが、林医院で地域医療に携わってから、そんな医療の本質が見えてきたのです。
 ところが、開業医になってから10年の間に、母が亡くなり、愛犬を亡くし、その直後にスタッフの女性をがんで失いました。途方に暮れた私は体調も悪くなり、林医院を続けていく自信を失いかけていました。が、心も体もなんとかしなければと一念発起し、ジョギングを始めることにしました。犬の散歩がなくなった分、走ってみようと思ったのです。
 そうしたら製薬会社の女性MRさんから「マラソンに出てみませんか」と声をかけられ、その人と一緒に米軍横田基地内を走る「フロストバイトロードレース」のハーフマラソンに出場しました。走り始めて半年後でしたが、2時間を切るタイムで走り切ることができました。45㎞を12時間以内で走る北丹沢山岳耐久レースでは8時間半くらいで完走。走っているときは無心になれ、自分を悩みから解放してくれることを実感し、立ち直ることができました。そして2008年の佐渡国際トライアスロン大会に参加し、トライアスリートデビューも果たしました。

■アイアンマンレースで自信がつく
 これまでフルマラソンに20回近く、トライアスロンには20回以上出場。このうち、“アイアンマン”と呼ばれる距離の長いレースへの出場は11回を数えます。初めてのアイアンマンレースは、米ユタ州のセントジョージ大会でした。水泳は水温16℃の湖、バイク(自転車)とラン(長距離走)は34℃にものぼる砂漠のコースをひた走る苛酷なものでしたが、完走できて大きな自信につながりました。
 走ることを通して、体を動かすことの大切さがより理解できるようになりました。胸が痛いという患者さんが、検査をしても何も異常が見つからないような場合、姿勢の悪さや体の硬さが原因だったりするケースが少なくありません。特に女性の場合、更年期以降の人生が長くなってきていますから、そういう人たちが骨粗しょう症やサルコペニア(筋肉量減少)などで寝たきりにならないよう予防することが大事です。スポーツを通して得た経験を、そうした予防医療に生かしていければと思っています。
 

■ 大ケガを負ってもなお走り続けたい
 昨年7月末、オランダで開催されたアイアンマンレースに出場し、バイクで転倒して大ケガをしました。バイクコースはベルギーにもまたがっていて、160㎞地点に当たる同国市街地の石畳の段差にタイヤを取られて飛ばされ、左腰から石畳に叩きつけられたのです。激痛で立つことができず、救急車で病院へ搬送され、レントゲン検査の結果、骨盤を何か所も骨折し、左肩鎖関節脱臼と肋骨打撲も負っているという重傷でした。
 それでも同行者たちのサポートにより、予定していた翌日の飛行機でなんとか帰国。それから9月末まで車椅子と松葉杖に頼る“歩行禁止”の生活を余儀なくされました。とはいえ、帰国して3日目から車椅子で外来診察にあたることができました。いつも治療する側にいるわけですが、車椅子の生活を送ったことにより、バリアフリーの大切さなどたくさんの“気づき”がありました。
 トライアスロンを始めて8年目に、骨盤骨折という大きなケガを負ったわけですが、これでやめるつもりはありません。これからも楽しみながらトライアスロンに挑戦し続けるとともに、マラソンやトレイルランニングの救護活動にも携わっていきたいと思っています。


「広報誌 Sincere7号より」