東京女子医科大学 薬理学教室
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出典「日本薬理学会誌 アゴラ 135巻,223−224ページ,2010年」


     私のような若輩者が立派なご意見を述べることはできない.学術的には模索の錯綜する現場の真只中にいて私自身が提言されたいくらいである.しかし,「アゴラ」はその主旨から学術性を保持した社交界といえる.内科専門医で分子生物学者の私がなぜ大学で薬理学主任なのか,私の経歴と最近の研究を随筆的に述べる.
  大学4 年生(1981 年)のとき第8 回国際薬理学会(江橋節郎会長)が日本でおこなわれ外国人相手の受付アルバイトをした.原子とイオンの難解な講義をされ,実験動物の血液が付着したエプロン姿でよく見かける江橋先生に不思議な魅力を感じていた.バイトは学生の気まぐれ,臨床医を目指して虎ノ門病院に就職した.すでにVQE をとってUCLA へ留学しようとしていた私に,院長の小坂樹徳先生は江橋先生と対等に議論ができる内科医者を志すように言われた.私にとっては2 度目の江橋先生であった.留学はやめた.高久史麿先生に入局させてもらった第3 内科では,遺伝子を内科学に導入しようとしていた.その頃慢性骨髄性白血病(CML)の癌遺伝子がチロシンキナーゼBCR-ABL であることが証明され(Nature. 315, 550, 1985),私は新たなチロシンキナーゼEph の発見で学位(Science. 238, 1717, 1987,審査員に遠藤實先生)を取得する傍ら,CML の遺伝子診断をやっていた.癌の分子標的薬の最も先端を走るイマチニブはこれの阻害薬である.BCR-ABL 活性化機序を解明すれば難病CML は治ると考えUCLA 基礎研究室へ留学した.解明はしたものの(Cell. 66, 161, 1991; Cell. 67, 459, 1991; Science. 258,812, 1992),未だに治療に役立っていない.一方で当時私がその特異性の問題から特効薬を開発するのは困難だと軽視していたBCR-ABL 阻害薬は成功を収めているではないか.知りすぎると希望まで小さくなっていく愚かな頭でっかちである.2009 年フランスで開催されたCML 会議に招待され,イマチニブ耐性に対する一つの提案を発表した際,イマチニブで本白血病の最長生存者の記録が10 年となったことを知った.血液幹細胞の病気であるCML を治癒に導く可能性が視野に入ってきたのである.
  1993 年留学から帰って東大医科学研究所に就職,渋谷正史先生のもとで血管新生の研究を開始した.ハーバード大学の外科医Judah Folkman 先生が提唱したこの概念(N Engl J Med. 285, 1182, 1971)は,VEGF とその受容体の発見でようやく詳細な研究が始まったところだった.ごく最近明らかになった抗
VEGF 抗体の臨床成績は,兵糧攻めで癌を撲滅できると考えた臨床・基礎研究者の大きな期待を裏切っ
た.Folkman 先生は2008 年亡くなられ,私は純粋に尊敬の念から同年Mayo Clinic で開かれた追悼会議
に参加した.日本人が私一人であったのは少し意外であったがVEGF の発見者Ferrara 先生など多くの
友人に会えた.
  このように,私の履歴は世の中の先端を走る創薬標的との出会いの連続である.しかも論理的にトランスレーショナルリサーチの完成度は高い.すべての薬は分子を標的にしている.しかし,ベータ受容体阻害薬が高血圧という病気をも標的にしているという進歩した循環器薬理学とは異なり,癌の正体は不明で何を標的にしてよいかわからなかったのである.闇雲に細胞を殺傷する薬物は今も使用されているが病気を標的にしているとはいえない.正確な病態解明が達成されてこそ,銃の中の銃弾は一発で足りる.癌と血管の医学はこの20 年に圧縮されて進歩した.癌の分子標的薬は薬理学の本質を一般人に理解させる良き叩き台と考え,拙著「がんを薬で治すとは」――役に立つ薬理学(朝日選書,2007)を出版した.
  2002 年から現職である.CML と蛋白分解系,細胞分裂と微小管切断制御系,Nox による活性酸素産生系,Eph と細胞伸展,癌の転移などの実験をやっている.癌が転移する前に,転移を予定している肺で,癌から産生される血管新生因子によってその発現が亢進する遊走因子として同定したS100A8 は,自然免疫の主役TLR4 の内因性アゴニストであった(Nat Cell Biol. 8, 1369, 2006; Nat Cell Biol. 10, 1349,2008).自然免疫は近年その重要性が益々認識され,2010 年7 月のIUPHAR でも大阪大学の審良静男先生のご講演が予定されている.癌が遺伝子の病気で転移は炎症なのか.肺炎の場合,外来性菌体成分がTLR4 などを介して惹起するdanger signal がその免疫応答の基本を構成すると理解されてきた.一方,癌が化学療法などで壊死となり,Hsc70 やHMGB1 など本来細胞内にある分子が細胞外へ放出され,これがTLR4 を活性化してdanger signal を引き起こすとも想定されている.では,上述した転移前肺をどう説明するか.転移が起こる前,すなわち癌細胞が存在しない臓器でS100A8 などによってTLR4 が活性化されており,本当のdanger である癌細胞は後からやってくる.S100A8 -TLR4 系は間断ない微生物の襲来に対する白血球動員という肺の防御的恒常性維持に関与していると考えている.その動員の仕組みが癌細胞によってハイジャックされている.稚拙ながらフランス語とフランス構造主義哲学が趣味である私はClaude Bernard 先生の実験医学序説(Bailliere et Fils. 1865, Paris)を学生時代から原文で熟読してきた.そこには内部環境維持機構homeostasis の概念がすでにある.2009 年度から「自然炎症 Homeostatic infl ammation」という新学術領域の一員である.この新概念で転移,肥満,自己免疫疾患などの病態解明と創薬に挑戦する.2009 年10 月担当させていただいた第121 回関東部会でもこれを特別講演テーマとした.転移前臓器の自然炎症による新しい理解は多くの血管専門家の関心を呼び,2009 年ドイツのKloster -Seeon 会議に招待された.これとは別箇にドイツの権威から(Anti - Infl amm & Anti-Allerg Agents Med Chem. 8, 337 - 347, 2009),また日本癌学会(Cancer Sci. 100, 2006 - 2013, 2009),さらに会員ではない日本薬学会(ファルマシア. 46, 129, 2010)や中国免疫学会(Cell Mol Immunol. 7, 94,2010)からもそれぞれ総説を依頼され概念を説いた.
  以上のような私であるが,日本薬理学会ではどこに演題を出してよいか戸惑うことも多い.旧来の縦
断的分野では収納できない横断的な概念や領域に携わっているからであろう.2010 年第83 回薬理学会
年会で特別講演(座長は成宮周先生)された京都大学の中尾一和先生に感銘を受けた.中尾先生のおっしゃるように,横断は重要であるものの,同時に自分の持ち場を十分わきまえる姿勢が大切である.縦糸と横糸の織目は強固な方がよい.

                                                         丸 義朗