卒後臨床研修センターだより

さまざまな説明会やオリエンテーション、学会に参加する研修医たち。
貴重な体験報告や、臨場感あふれる行事の様子など月毎にお知らせします。

2013年1月号

初期臨床研修中に出会った医師について

-ロールモデルとして学ぶことー

卒後臨床研修センター  2年次研修医 片桐さやか

 私は医師として必要なことを次のように考えている。知識の吸収を怠らず、豊富な経験を持ち、技術が優れていること。人格的に優れ、協調性があること。人間に興味があり、どんな仕事もいとわないこと。したがって、私の理想の医師像とは、知識・技術・心の3つをバランスよく兼ね備えた医師である。

 当院での初期臨床研修は、優れた指導医をはじめ、さまざまな大学から集まった先輩医師のきめ細かい指導体制のもとで研修を行い、医師としての礎を築くのにより良い環境であった。個性的で人間味あふれる先生方のもとで学び、充実した2年間を過ごすことができた。

 実際に医療現場に出ることとなり、新たに感じた医師として必要なことは「清潔感」である。清潔感は患者のみならず、医療関係者の信頼を得るためにも必要な条件のひとつで、外見だけでなく生活習慣や生活態度、考え方からもにじみ出るものであると実感した。毅然とした医師は余裕があり、各々の研修医の考え方を尊重し、気づいたら患者のためになるような方向へ導いてくれていた。また、自分の夢や人生の展望もしっかりと持ち、忙しい生活の中で、将来の夢への準備も着々と進め、少しずつ実現へ向けて進んでいく医師がいた。規則正しい生活を送るということは、自分を成長させ生活や仕事を豊かにするものであると、指導を受けた医師を通じて学ぶことができた。

 初期臨床研修を終えても、このような尊敬できる医師を目標に、自己に厳しく規則正しい生活を送り、清潔感のある医師を目指し、日々努力を惜しまず仕事に励んでいきたい。

卒後臨床研修センター  2年次研修医 南 梓

 目標としたい先生について考えたとき頭に浮かんできたのは、長い外来診療の最後、身体症状とは関係のない患者の話を、優しく相槌を打ちながら聞いていたA先生。笑顔で患者の訴えを受け止め、患者にすぐに好かれるB先生。そして、自分の要求を延々と話し、今後の具体的な方針が決まらない患者に対してインフォームドコンセントを繰り返し、じっくり話を聞いていたC先生の姿である。

 痛みや不快感で苦しむ患者へ、それを自分のことのように感じ、それを表現することを許し、受け止めること、すなわち「共感」。これは医師として必須の技術であると大学でも教わるが、患者はこれを治療の一つとして求めてやってくる。お医者さんはさぞ優しくて、わたしの苦しみを癒してくれるだろうと。しかし、これを遂行するのは簡単なことではないと、研修を通して実感した。なぜなら、医師と患者とのコミュニケーションには多くのハードルがあるからだ。幸福な人同士のコミュニケーションは笑顔で図れるだろう。しかし、患者は何らかの不快感を持っている。不快感は苛立ちや不安、悲嘆などネガティブな感情の表出につながり、コミュニケーションをとることがより難しくなる。これが一つ目のハードルである。

 また、日常的に人体への侵襲、他人の苦しみと接する「慣れ」により、医師の感覚は一般的な感覚とは掛け離れている。人体への侵襲、他人の苦しみを客観的な事象として捉え、理性的かつ科学的に分析しなければならないがゆえに、「苦しみ」や「感情」そのものに無頓着になっていると言えるのかもしれない。あるいは意識的に鈍麻させているのだとも考えられる。このような変化は医療を行ううえで、避けられないことである。針を刺すときに学生時代のように恐れていては、毎日の仕事に支障が出るが、常に医療人として最善の態度を取り続けることは容易なことではない。しかし、経験も、知識も、技術も豊富な先生方が、謙虚に我慢強く患者の訴えを受け止める姿を目にし、常に患者に共感する努力を心掛けなければならないと強く感じた。

 医師は、治療というサービスの提供者であるが、同時に、治療を牽引する指導者的立場でもある。それゆえ、ときに自分が上の立場のように振る舞ってしまうこともある。命を預かる責任の重さは感じるべきだが、社会に生かされていることに感謝し、還元する気持ちを常に心に留めながら、謙虚に働いていきたいと思う。

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