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概要

シンシアNo.9

施設将来計画・シリーズ1キャンパス全体像病院と教育・研究エリアを分かりやすくゾーニング東京女子医科大学は今、大きな変貌を遂げようとしている。新しい教育・研究棟が建ち、シンボルだった一号館はすでになく、女子医大病院の病棟でも再編が進んでいる。キャンパスの施設は、これからどのように変わっていくのだろうか。施設将来計画諮問委員会の岩本絹子委員長(東京女子医科大学副理事長)。15年前から施設建て替え計画がスタート女子医大の施設が目に見えて変わりつつあることを実感させられるのが、歴史的建造物として親しまれてきた一号館が姿を消したことであろう。隣接していた二号館と臨床講堂も一緒に取り壊され、広い空間となっているこれらの跡地には新しい校舎が建つ予定である。“老朽化した施設は建て替えで対応する”との方針の下、2002年に複数の業者から「将来構想計画プロポーザル」を受けたのが施設将来計画の始まりである。これにより、現在の総合外来センター(2003年竣工)や第1病棟(2009年竣工)の建設が進んだが、2001年に発生した心研(当時)の医療事故により特定機能病院の承認が2002年に取り消されたこともあって収支が悪化し、それ以外の計画が保留となってしまった。その後、さまざまな経営課題に取り組むため2006年に「マスタープラン21プロジェクト」が立ち上げられ、その一環として翌年、教育施設に関して「施設建て替え計画策定分科会」が、医療施設については「施設・利用計画検討会議」が発足し、建て替えの検討が進められてきた。だが、7年連続赤字に伴う財務的制約を理由に、計画は凍結された。財務の裏付けのなさが大きなネックに2011年3月に発生した東日本大震災は、女子医大の施設にも被害をもたらし、同年8月までに復旧工事が完了した。また、2011年5月に「施設将来計画諮問会議」が立ち上がり、一・二号館跡地に新校舎を建設するというグランドデザイン案が承認されたが、これも資金の関係で頓挫。加えて、耐震改修促進法の改正に伴って義務づけられた耐震診断の結果、耐震補強をせざるをえなくなったことも資金計画を圧迫した。このため、2014年に入って施設将来計画が再見直しされ、同年8月に「施設将来計画諮問委員会」が新たに設置されて具体的な検討が行われた。この時期、先行して建設に着手していた本部・女性生涯教育支援センターが竣工した。翌2015年4月、女子医大の岩本絹子副理事長が施設将来計画諮問委員会の委員長に就任した。岩本委員長は、「再度見直された施設将来計画も10年前のグランドデザインがベースとなっていたため、建ぺい率や容積率などの関係で実現性がない」と指摘し、全面的にリセット。現実に即した新たなグランドデザインを策定した。また、それまでの計画では工期が12年と長期におよんでいたため、新グランドデザインでは6年半に短縮。同時に、それを推進するための財務改善にも着手した。「2002年に施設将来計画が持ち上がって以来、10年以上も前へ進まなかったのは財務の裏付けがなかったからにほかなりません。まさに“失われた10年・15年”です。私の一番の仕事は、まず財務を改善することでした」と岩本委員長は述べている。岩本氏は至誠会副会長として、2009年9月、当時経営難に陥っていた至誠会第二病院の運営委員会委員長に就任し、経理全般や取引業者との契約をチェックするなどメスを入れ、経営安定化に大きく貢献した。そうした手腕を買われて2014年12月に副理事長に就任し、さらに施設将来計画諮問委員会の委員長に推されたのである。患者さんにやさしい動線を確保する病院ゾーンだが、委員長に就任してまもなく、女子医大病院は前年の18 Sincere|No.9-2018