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概要

シンシア 2014.No.3

至誠人医師も歌手も一生の仕事としてずっと続けていきたいと思っています透明感のある爽やかな歌声。ジャズをはじめロック、ソウル、ラテン、さらに昭和歌謡からアニメソング、童謡までの幅広いジャンル。情感豊かな歌唱で人々を魅了しているアン・サリーさんは、やさしい内科医としても慕われている。アン・サリー(医師・歌手)クラブ対抗歌合戦で喝采を浴びる父が開業医だったことから、私は小さい頃から医学を身近に感じていました。音楽も好きで、音楽大学へ進むという選択肢もあったのですが、父から「音大だと医学はできないが、医大なら音楽も続けられる」とアドバイスされ、高校生になってから進路を医大に定めました。そして、父の親しい医師のお嬢さんが東京女子医大へ行っていると聞き、私も女子医大をめざすことにしたのです。女子医大へ入学したのは、ちょうどテュートリアル教育が導入されたばかりのときでした。少人数に分かれ、自分たちで問題を発見し解決するという自由な学習の仕方に、当初は戸惑いもありましたが、とてもユニークで新鮮でした。問題は自分で考えて解決しなければならないという習慣が身についたことは、その後の人生において大いに役立っています。クラブ活動はワンダーフォーゲル部に入りました。同期で入部したのは私のほかにあと2人。この3人がたまたま音楽好きで、よく歌いながら山登りをしたものです。クラブ対抗歌合戦のときには、3人で「メモリー」をミュージカル仕立てにして歌い、喝采を浴びたことがいい思い出となっています。私は早稲田大学の学生ともバンドを組んで音楽活動をしていました。キーボードを受け持っていましたがボーカルも担当し、ベースやギターをバックにブルースなどの弾き語りをしました。学生時代はとにかく楽しい毎日でしたね。音楽の本場でライブの醍醐味を堪能卒業後、研修医として女子医大附属第二病院(現在の東医療センター)に勤務し、3年目に循環器内科の医師をめざして都内の他の病院へ移りました。そこで、今でも懇意にしていただいている桑島巌先生(J-CLEAR〈臨床研究適正評価教育機構〉理事長・東京都健康長寿医療センター顧問)と出会い、アメリカのニューオリンズへ留学するチャンスを与えてくださいました。留学したのは2002年でしたが、その前年に初のCDアルバム「Voyage」を出すことができ、その喜びをかみしめながら留学の途につきました。留学先ではラットを用いて高血圧の研究を行いましたが、小動物を相手にするのは初めてだったため神経をすり減らし、英語での論文作成も大変な作業でした。ニューオリンズは音楽の街です。研究の合間を縫って本場のライブハウスへ足繁く通ったのはいうまでもありません。至好評中の初の著書『森の診療所』と同名のCDアルバム。04 Sincere|No.3-2015