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概要

シンシア 2014.No.2

でも高校ではフィールドホッケー部に入り、本格的に登山を始めたのは大学に入ってからでした。登山は、内省するいい機会だととらえています。慣れてくれば、歩きながらいろいろなことを考えたり、自分を見つめ直したりすることができます。また、テントの中で地面に寝転がるのはほんとうに気持ちのいいものです。とはいえ、登山は学生時代で終わりと決めていました。実際、卒業してから2年間の研修医時代は、登山どころではありません。再び登山を始めたのは卒業して3年後。田部井淳子さんを隊長とする日本女子登山隊が、長年あこがれていたブータンへ遠征するという記事を、ふらりと入った書店の山岳雑誌記事で目にし、応募したのがきっかけでした。このときに医療担当隊員として参加し、遠征隊員の健康管理を通じて、高所の低酸素下で人体がどのような影響を受けるかという興味深いデータを得ることができました。以来、登山とともにそれをフィールドワークとするようになりました。女性だけで8,000m級の山を制覇これまでいろいろな山に登ってきましたが、一番印象に残っているのはガッシャーブルムⅡ峰の登頂です。初めての8,000m級の山で、女性ばかり11人のパーティーの隊長を務めました。中国との2度の合同登山も印象深いものでした。やはり女性ばかりのパーティーで、チョー・オユー、チョモランマと、橋本さんが主宰する「フロント・ランナーズ・クライミング・クラブ(FRCC)」の山行(東京・町田市の草戸山山頂にて)いずれも8,000m級の山へのチャレンジ歩けるかぎり登山は続けていくでした。これをきっかけに、女性がん体験者ガッシャーブルムⅡ峰登頂後、約5年のQOL向上をめざして2001年末にフロ半アメリカに留学し、免疫細胞の働きとント・ランナーズ・クライミング・クラブ(FRCC)遺伝子解析の研究に没頭しました。こを発足させました。メンバーは医療サポの留学中の研究生活はワクワク・ドキドキーター、登山サポーター(女子医大の山するもので、かけがえのないものでした。岳部・ワンゲル部員も参加)を含めて現在遠征登山で学んだ“準備が大事”という約80人。毎月1回、山行を開催しており、実感は、この研究留学中に大いに役立すでに150回以上を数えます。ちました。実験準備を2倍にしてうまくい登山は年齢とともにそれなりのものにかなくても、すぐに再実験できる態勢をなっていくでしょうが、歩けるかぎり続け整えていました。ていきたいと思っています。私は国際認留学から帰国後、トレーニングを兼ね定山岳医でもありますので、その活動にてよく富士山へ登るようになりました。そも取り組んでいくつもりです。の富士山に、日米のがん体験者が合同昨年、33年間勤務した女子医大をで登る「がん克服日米合同富士登山」が退職し、世田谷で内科・神経内科医2000年8月に行われ、その実行委員を院を開業しました。同じ建物には父の代務めることになりました。支援スタッフをからの小児科医院があり、弟が診療し含めて460人もが参加するという大がかりています。これまで自分が学んできたことなもので、多くのがん体験者が富士山を地域の患者さんたちに詳しく説明しな登頂の達成感を味わい、勇気と希望をがら、ていねいな診療に努めていきたい持つことができました。と思っています。■橋本しをりさんの主な登山歴年国山名高さ主催等19831985ブータンケニアセプチュカンキリマンジャロ5,200m5,895m日本女子登山隊19861987中国ペルートムール峰トクヤラフ7,435m6,012m日本女子登山隊(副隊長)ピスコ5,800mイシインカ5,450mウルス5,200m19882000200220032005同200620082010パキスタン日本中国アメリカ中国アメリカアメリカブータンアメリカガッシャーブルムⅡ峰富士山チョー・オユーシャスタチョモランマレーニアシャスタチョモラリトレッキングホワイトマウンテンプレジデンシャルルート8,035m日本女子登山隊(隊長)3,776mがん克服日米合同富士登山(実行委員)米国乳がん財団共催8,201m日・中友好チョー・オユー女子合同登山隊(隊長)※日中国交回復30周年記念4,249m米国乳がん財団8,848m日・中友好チョモランマ女子合同医学登山隊(隊長)4,392m米国乳がん財団4,249m米国乳がん財団FRCCFRCC、米国乳がん財団合同登山※がん克服日米合同富士登山10周年記念橋本しをり1952年生まれ。80年東京女子医科大学医学部卒業後、同大学脳神経センター神経内科に入局。88年米コーネル大学ノースショア研究所に留学。帰国後、2001年脳神経センター神経内科講師、04年総合研究所助教授(神経内科助教授兼任)、07年准教授(神経内科・附属遺伝子医療センター・先端生命医科学研究所准教授兼任)。13年世田谷区祖師谷で「沢田はしもと内科」を開業。医学博士、日本神経学会認定医、日本頭痛学会認定医、日本脳卒中学会専門医、日本内科学会認定内科医、温泉療法医、国際認定山岳医などの資格を有す。国立登山研修所「大学山岳部リーダー冬山研修会安全検討会」委員、文部科学省「南極地域観測統合推進本部」委員なども務める。Sincere|No.2-2014 05