ピックアップ

2015年03月09日医師も歌手も一生の仕事アン・サリー
医師も歌手も一生の仕事としてずっと続けていきたいと思っています

透明感のある爽やかな歌声。ジャズをはじめロック、ソウル、ラテン、さらに昭和歌謡からアニメソング、童謡までの幅広いジャンル。情感豊かな歌唱で人々を魅了しているアン・サリーさんは、やさしい内科医としても慕われている。

アン・サリー ( 医師・歌手)

<クラブ対抗歌合戦で喝采を浴びる>
 父が開業医だったことから、私は小さい頃から医学を身近に感じていました。音楽も好きで、音楽大学へ進むという選択肢もあったのですが、父から「音大だと医学はできないが、医大なら音楽も続けられる」とアドバイスされ、高校生になってから進路を医大に定めました。そして、父の親しい医師のお嬢さんが東京女子医大へ行っていると聞き、私も女子医大をめざすことにしたのです。
 女子医大へ入学したのは、ちょうどテュートリアル教育が導入されたばかりのときでした。少人数に分かれ、自分たちで問題を発見し解決するという自由な学習の仕方に、当初は戸惑いもありましたが、とてもユニークで新鮮でした。問題は自分で考えて解決しなければならないという習慣が身についたことは、その後の人生において大いに役立っています。
クラブ活動はワンダーフォーゲル部に入りました。同期で入部したのは私のほかにあと2人。この3人がたまたま音楽好きで、よく歌いながら山登りをしたものです。クラブ対抗歌合戦のときには、3人で「メモリー」をミュージカル仕立てにして歌い、喝采を浴びたことがいい思い出となっています。
 私は早稲田大学の学生ともバンドを組んで音楽活動をしていました。キーボードを受け持っていましたがボーカルも担当し、ベースやギターをバックにブルースなどの弾き語りをしました。学生時代はとにかく楽しい毎日でしたね。

<音楽の本場でライブの醍醐味を堪能>
 卒業後、研修医として女子医大附属第二病院(現在の東医療センター)に勤務し、3年目に循環器内科の医師をめざして都内の他の病院へ移りました。そこで、今でも懇意にしていただいている桑島巌先生(J-CLEAR〈臨床研究適正評価教育機構〉理事長・東京都健康長寿医療センター顧問)と出会い、アメリカのニューオリンズへ留学するチャンスを与えてくださいました。
 留学したのは2002年でしたが、その前年に初のCDアルバム「Voyage」を出すことができ、その喜びをかみしめながら留学の途につきました。留学先ではラットを用いて高血圧の研究を行いましたが、小動物を相手にするのは初めてだったため神経をすり減らし、英語での論文作成も大変な作業でした。
 ニューオリンズは音楽の街です。研究の合間を縫って本場のライブハウスへ足繁く通ったのはいうまでもありません。至近で生演奏に接すると、ミュージシャンの表情や息づかいまで見て取れて、とても刺激的でした。CDで耳にする音は、こんな表情をしながら生み出されているのか、といったような発見をしながら、ライブの醍醐味を堪能しました。
 「私も歌手でCDを出しているんです」というと、どんな歌い手かも分からないのにステージへ上げてくれる。ライブハウスへ行くたびに地元のミュージシャンとセッションを重ねることができたのは、ほんとうに貴重な体験でした。

    
好評中の初の著書『森の診療所』と同名のCDアルバム


<心に響いた曲を自分の声で表現>
 私が大学生の頃、多くのアナログレコードがCD化され、自分のアンテナにひっかかったものはジャンルを問わず手に入れ、聴いていました。ジャズをはじめ、いろいろな曲を歌うようになったのはその影響からです。
 とはいえ、いいと思った曲をそのまま忠実に歌ったのでは統一感がありません。原曲の良さは保ちつつ、私の声でしか表現できないようにアレンジすることにより、ジャンルはバラバラでもある種の統一感が生まれてくるのではないかと思っています。
 「のびろのびろだいすきな木」という曲がNHK「みんなのうた」にオンエアーされた縁もあり、2009年に紅白歌合戦のテーマソング「歌の力」を杉並児童合唱団とリリースする機会がありました。実際の紅白歌合戦では出場歌手のみなさんがリレーでこの曲を歌いましたが、なんと私もその舞台に立って導入部を担当。このときは「なんで私がここにいるんだろう」と、とても不思議な思いでした。今でもそのときの自分の姿は見たいとは思いません。

<悩みをポジティブに変える>
 医師と歌手、どちらも年齢の上限はなく、一生続けていける仕事です。医師という職業は、歳とともに培っていく診療スキルを、社会に還元していくことができます。歌手は、年齢を重ねるにつれて声が衰えていくかもしれませんが、そのときの年齢でしか出せない味というのは、いくつになってもあるのではないでしょうか。
 医師としての自分は、難しい症例に直面したりするとくじけそうになったり、自信を持てなくなったりすることがあります。そういうときは、やはり2つの仕事を抱えているからかな、と悩んだりします。でも、ある先生から「悩むのも能力の一つ。白黒をつけるのではなく、悩みながら仕事をすればいい」といわれ、それ以来、悩むことをポジティブに考えるようにしています。
 歌というのは、いつものように歌っているつもりでも、そのときどきの感情や体調が反映されてしまいます。ですから、ライブコンサートのときは心を落ち着かせ、体調を整えて臨むようにしています。そして、これからも医師と歌手の両方をしぶとく続けていきたいと思っています。

                  
アン・サリー(安 佐里)
1972年、名古屋市生まれ。大学時代から本格的に歌い始め、卒業後も医師として働きながらライブを重ねる。2001年「Voyage」でCDアルバムデビュー。2002年から3年間ニューオリンズに医学研究留学。一時帰中にリリースしたCD「Day Dream」「Moon Dance」では、洋の東西を問わぬ新旧の名曲を独自にアレンジした歌唱が好評を博す。帰国後、留学期間中の現地ミュージシャンとのセッションを収録した「Brand-NewOrleans」も話題を呼ぶ。2007年に自作曲を含むアルバム「こころうた」、2008年にオリジナル曲「時間旅行」(シングル)、2012年に映画「おおかみこどもの雨と雪」の主題歌「おかあさんの唄」(同)をリリース。2013年には初の著書『森の診療所』と同名のCDアルバムを同時発売した。



「広報誌 sincere3号より」