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概要

シンシア No.7

に設置され、現在の東京女子医科大学病院へと発展してきた。一方、至誠会病院と千歳村分院は1936(昭和11)年10月、それぞれ至誠会第一病院、至誠会第二病院と改称。その後、至誠会第一病院は戦災で焼失したが、至誠会第二病院は戦火を免れ、今日に至っている。東京女子医科大学医学部の同窓会組織である一般社団法人至誠会が運営する稀有な病院、それが至誠会第二病院の最大の特徴である。歴代の院長もすべて同窓会会員の女性が務めてきた。女子医大卒の医師が多いのはいうまでもなく、現在常勤医師(44人)の半分を女子医大出身者が占めている。二次救急指定病院として急性期医療を担う90年近い歴史を誇る至誠会第二病院だが、この間の道のりは平坦ではなかった。昭和40年代には経営が悪化し、三神美和院長が不採算の診療科を廃止。病院の建物が建つ借地と至誠会所有の隣接地を等価交換する交渉もまとめた。だが、昭和50年代に入ると創設以来の経営危機に陥った。1978(昭和53)年に就任した野村淑子院長が再建に取り組み、救急指定病院や総合病院の認可取得、至誠会看護専門学校の開校など復興・発展に大きく貢献した。そのあとを継いだ相羽早百合院長は、診療科の増設や地域医師会との協力、専門研修病院としての認定取得などに尽力し、地域中核病院としての基礎を築いた。この3人の歴代院長を称えるレリーフが院内の一角に飾られているが、それは苦難を乗り越えてきた歴史の象徴でもある。さらに2009(平成21)年9月、至誠会の岩本絹子副会長(現会長、東京女子医科大学副理事長)が至誠会第二病院運営委員会の委員長に就任。毎月委員会を開催するとともに経理全般を監査し、医療機器取扱業者との契約も厳しくチェックするようになった。こうした岩本委員長のテコ入れにより、経営は安定化に向かった。至誠会第二病院は現在、17の診療科と305床の病床数を備え、二次救急指定病院として東京都区西南部の急性期医療を担っている。病院と京王線・仙川駅および小田急線・成城学園前駅との間には専用バスが運行(無料)しており、外来患者数は1日700~800人を数える。女性医師で国内初の脳神経外科専門医の資格を取得した川畠弘子院長は、「当院は地域からの紹介患者さんをお引き受けし、場合によっては大学病院につなぐコーディネーターの役割を果たさなければなりません。そうしたシステムを構築するためには、女子医大との緊密な連携とともに、地域の医療施設との連携も極めて重要です。そのためにも、講演会などを通じて地域の先生方と積極的に交流を図っていきたいですね」と抱負を語ってくれた。腹腔鏡による胆嚢摘出手術を行う女子医大出身の山下由紀消化器外科部長。救急搬送された患者さんを診察する神経内科の板橋美貴子医師も女子医大出身。併設されている至誠会看護専門学校。京王線2桐朋学園大学仙川駅?安藤忠雄ストリート?ぱんぷきん?成城五丁目猪股庭園?成城アルプス31松原通り4至誠会第二病院成城学園前駅小田急線Sincere|No.7-2017 11