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発見!!女子医大

歴史を刻んだ卒業生history

石坂照子(昭和24年卒業/1926〜2019年)

〜「現代のキュリー夫妻」・夫妻で歩んだアレルギー研究の道〜


石坂照子(旧姓:松浦)は1926年に山形県の旧家に生まれ、1944年に上京して東京女子医学専門学校に入学しました。在学中に通った伝染病研究所の恩師の元で将来の夫となる石坂公成氏に出会い、1949年に本学を首席で卒業し結婚。公成氏とともに免疫学の研究に専心し、1957年に一家でアメリカに渡ってからはジョンス・ホプキンス大学、ラホイヤアレルギー免疫研究所などで研究活動を続けました。

免疫学者として補体結合反応の研究を続ける中で、1966年には公成氏とともに免疫グロブリンE(IgE)を発見。アレルギーの基礎研究と臨床応用に大きく貢献しました。こうした功績からノーベル賞候補とも言われましたが、同賞は同じ研究で受賞できるのは3人までという慣わしのため、公成氏にだけ受賞が打診された折、夫妻一緒でなければそのような賞はいらないと公成氏が受賞を断ったというエピソードが残っています。

照子は1991年10月には東京女子医科大学学会の特別講演を、1992年5月22日には「アメリカ生活30年」という題目で吉岡弥生記念講演を行っています。その後まもなく病を得、かねてより隠居したら故郷に帰りたいと抱いていた思いを公成氏が汲んで帰国して山形県に移住しました。病室には公成氏が毎日通い、多くのお弟子さんが出入りしたといいます。公成氏は2018年に、そして照子は永い闘病の末、2019年6月4日に帰らぬ人となりました。“THE LANCET” Vol.394, Issue10194には照子の追悼記事が掲載されました。

図書館では“THE LANCET”とともに、石坂公成氏の著作『我々の歩いてきた道』、『結婚と学問は両立する』などを読むことができます。 石坂照子先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。





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