7.患者仲間
出会いはどこにでもある。
望むことなくやって来たその場所で
一言話してみれば、
めげず、くじけず、笑顔を崩さない、
そんな人たちの存在を知る。
あたたかく、応援してくれる人もたくさんいる。
新しい出会いは、新しい力を生む。
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そこで出会うのは、必ずしも幸運なこととも言えないが、病院に行くとたくさんの患者さんがいる。性別、年齢関係なく、合宿生活でもしているようだと妻は言う。目標は同じ、健康の回復。目覚めてから眠るまで、同じ建物の中で、同じアナウンスを聞き、同じ時間に食事を摂り、同じ時間に眠る。
落ち込んでいる人や不安そうな人がいれば励まさないではいられない。そうして、いつの間にかたくさんの知り合いができて退院の日には、寂しくなるわ、とエレベータ前まで見送りの患者さんが集まってくる。
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入院した病棟は、消化器がんと乳がんの人が多かった。消化器の人が手術後もなかなか食事が摂れないのと対照的に消化管を切っていない乳がんの人は、食事が開始されるのも早いから、元気でにぎやか。だから、そこで知り合って仲良くなったのは、乳がんの人が多い。
会話は、お互いの病状を気にかけつつ、なるべく深刻にならないような話題を選んでそれなりに楽しく弾む。しかし、入院期間が長くなっている人が語る話の中には、治療や病院についての話も多い。先輩として、知りえた情報を伝えたいという想いもあるのだろうが、それは、耳ふさぎした方が良さそうなものも少なくない。中途半端な情報はかえって、現在の治療に迷いを生じさせる。
○○病院の方が最新治療は充実しているらしい、
○○という薬は副作用が強いから使わない方が良い、
○○号室の人は再手術になったらしい、
○○先生は不器用らしい、・・・・・。
しっかり確認もせずに人から聞いた話として伝えられる情報は、多く体系だっておらず、妙な誇張が加わったり、たまたま起きたことがまるで必然のように伝えたりするから、うっかり信じ込んでしまうと大きな誤解を生む。そうして、一番大切な病院と患者・家族との信頼に不信が生まれる。患者間の情報はあくまで参考程度と思っていた方が良い。
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入院しているがん患者は二つに分かれる。初発と再発。それぞれの患者は明らかに違う。初めて入院した時は二人部屋で、同室は大腸がんが肝臓に再発した女性。初発から三年経過しての再発だった。
大腸がんは手術自体、それほど難しいものではなく、無事退院すれば、患者はひたすら解放されるまでの5年間、特に危険期間である3年間を再発せずに過ごせることを願う。何度か重ねた検査で異常なしの結果を得、いよいよ3年を過ぎようとしていたところで、再発が発見されたらしい。
初発の患者は、突然の発見に困惑しつつ、手術が終わったら、さっさと退院して元の生活に戻るのだという意欲がある。それに比べ、再発の患者は、がんへの意識が常に存在している中で、恐れていた再発が起こり、そして、入院。まして、危険期間が過ぎようとしていたところで、発見されたとあっては、落胆と敗北感の大なること、想像するに難くない。
多くのがんは再発すると完治が難しくなるが、大腸がんはその後も手術で根治できる可能性がある。肝臓に転移しても、腫瘍の数が少なく、場所に問題なければ手術で取り去ることができる。同室の女性は、再発手術を終えたところだった。
そこにいかにも元気でめげていない妻が入院して来た。妻も、その心理的な状況はすぐに気が付いて、いつも以上に気を使い、自分から話しかけるより、もっぱら聞き役になっていた。再発の人はすでに一回経験しているから初心者にいろいろ言いたくなるらしい。しかし、それは心配になるようなことが多くて、うんざり。悪気はないのだろうけど、なんだかライバル心みたいなもの、感じた。妻は、本当はあまり聞きたくない再発手術のことも表情を崩さず、聞いていた。再発が必ず起こるかのように聞こえて来る。絶対、先に退院するんだと宣言して、同室の人は、実際に早々と退院して行った。
しばらく、妻は再発を意識することになる。同室の人以外に何人もの再発患者と会ったこともある。皆、再発してしまうような錯覚。しかし、大腸がんになった人の80%は再発せず、完治している。そうした再発せずにいられた人たちは、僕らの前に姿をあらわすことはない。たまたまた再発した人だけが病院に来ている。そう話すと、そりゃそうだねと納得してくれた。
再発の患者さんが退院すると70歳代の女性が入院して来た。踊りを教えていると言い、姿勢も言葉遣いもしっかりしている。
「あたしは、生涯、痛いと言ったことがない」というのが、自慢の人だった。
「だから、手術も恐くないの。我慢強いから痛いなんて絶対言はないわ」
妻は、素朴に感激し、偉いねえと感心していた。
妻の手術の後、数日してこの女性も直腸がんの手術を受けた。その夜。
「痛い〜、痛い」「何とかして、痛い〜」の唸り声。
妻は、それをうるさがるというより、看護師を呼んだり、励ましたりしながら、なんだかほほえましく見ていたようだ。
「いろんな人がいるねえ」
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病気になると落ち込んでしまう人と逆にめげてたまるかと今まで以上に元気を出そうとする人がいる。妻は、誰とも仲良くなっていたが、特にめげないタイプの人とは病院生活を楽しくするための仲間としてお互いに力を生み出していた。話している間、笑いが絶えることなく、あっという間に昔からの知り合いであるかのように打ち解けてしまう。そういう人たちとは携帯電話の情報を交換して、退院した後も連絡が続いていく。
緩和病棟
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手術不能で抗がん剤治療になってから、緩和病棟に移った。様相は一変する。いつも人が走り回っているようなにぎやかさだった外科の病棟に比べて、緩和病棟は、恐ろしく静か。病室もゆったりして、普通なら6、7人押し込められるような部屋にベッドは四つ。しかもトイレと洗面付き。家族の控え室もある。看護師も皆、丁寧でやさしい。患者一人あたりの看護師の人数も多そうだ。
そこは、完治が難しくなった患者のために特別に条件を整えられている。妻はそれを知ってか知らずか、とにかく環境の良さに喜んでいる。
その場の静かな環境に合わせて、妻は、大笑いをしながら話し続けるということはしなくなったが、それでも、同室になった人や休憩コーナーでいっしょになった人とはすぐに仲良くなる。緩和病棟に入院した多くの患者さんが、ここでそんなに楽しい会話ができるとは思わなかったと言われるほど、病室は穏やかな笑いに包まれている。
しかし、緩和病棟は、当然重篤な人も多い。抗がん剤の治療で入院した同士、仲良くなって別れた後、次の投与期間になり入院すると顔見知りになった家族と出会う。
「意識不明なんです」
驚いた妻は、病室に入り、患者さんの耳元で一生懸命語りかけた。「聞こえてますよね。また、おいしい物の作り方、教えてくださいよ」「やだなあ、またいっしょですよ。がんばりましょうね、私たち」人間の五感の中で聴覚が最後まで働いていると信じて、妻は語る。
自身の抗がん剤投与で様子を見に行くこともできず過ごした三日後、どうなったかと心配して、看護師に尋ねると、退院されましたと言われる。言葉の意味を図りかねる。そして、やがて、一つの結論にたどり着く。それは、妻にとっても初めての経験で心に響くものがあったようだ。病棟の意味を知った瞬間。それから、仲良くなったのに、しばらく見かけない患者に気が付いても、どうしたかは聞こうとはしなくなった。「聞くのが恐い」そう言う。
ここでも、仲良くなった人とは携帯電話の情報を交換する。退院してから会ったり、治療に関する相談や新しい情報があればやり取りしようということ。しかし、中には拒否する人もいる。
「突然、旦那さんから電話が来るの、嫌だから」
それまでほがらかに会話に加わっていた人の一言は、あたらめて、置かれている状況を意識せざるを得ない。妻は、そういうことは聞かなかったことにしようというようにあっという間に話題を変えて会話を盛り上げる。
ある日、抗がん剤の治療で入院したときには、ベッドまで荷物を運び、僕が売店に行ってティッシュペーパーや飲み物など買って帰って来るとベッドには誰もいない。予測を付けて病室のネームプレートを確認しながら、三つ先の病室に入るとやはり、妻はそこにいた。
相手は、大会社の重役で関西弁の元気な男性。僕も何度か休憩コーナーで食事をいっしょにしたことがある。すい臓がんらしく、送られてきたメールで、元気がないらしいと心配していた。自分が診てもらっている気功の先生の話などしている。自分だって、けっして楽な状態ではないのに、苦しそうな人を見るといてもたってもいられない。性別も年齢も関係ない。誰とでも、等距離で付き合う、それが妻の良さだった。
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がんの患者同士が仲良くなると、それなりに辛い状況になることもある。だからって殻に閉じこもって孤独になることはない。いつも通り、今まで通り生きるなら、目の前に現れた気のあう人は素直に受け入れて、治療だけでない新しい生活を楽しむ。それもまた病気になったからこその出会い。
POINT
- 患者から得られる情報は、役に立つものと立たないものが混在している。噂話程度の情報もあるから、要注意。自分のことだけ考えて決めた治療を計画通りに進める。疑問があれば、率直に主治医に相談する。
- 患者同士の付き合いはお互いの呼吸が合う程度に。それぞれのこだわりがあるし、それぞれの感じ方がある。無理して誰とでも、仲良くなる必要もないけど、息のあう人がいれば、それはそれで入院生活も楽になる。










